日付 2007年02月28日 
タイトル 飯豊山8の前に 2005年10月19日  
内容 飯豊神社を後にして、飯豊本山を目指す。ここは、「稜線のお散歩」といった感じなのだけど、先が長いので、あまりのんびりも出来ない。花梅皮小屋(カイラギ小屋)までの山並みを見ると、気が遠くなるくらい遠くに見える。本当にあそこまで行くの?と、誰かに確かめたくなる。右にダイクラ尾根へのルートを見ながら、15分ほど歩くと、飯豊本山へ到着。
標高2105mの絶景が待っていた。「ここにずっと居たいなー」と、またいつものように考えていた。そういえば、5年ほど前、天気が良いので安達太良に登り、昼過ぎから夕方5時くらいまで頂上で水割りを飲んでいたら、元ギャルに「あら、仙人がいたかと思った」と言われたことがあったけ。あの時も同じく帰りたくなかったなー。だんだん夕焼けになってきて、綺麗だったのを覚えている。っていうか、5年前は仙人と間違われるくらい痩せていたのかなー。えーんえーん(T∧T)なーんちゃって。
 本山の頂上で、親子4人連れと出会い、写真を撮りあった。一番下の男の子が、「もう戻ろうよー」と、お父さんに言っていた。先を急がなければならないので、10分くらいで御西岳を目指してスタートした。
 平沢さんが遅れていたので、何とか先行してペースを上げさせようと試みたけれど、相変わらずどんどん離れてしまう。少し待ちながら歩くと、さっきの親子に抜かれてしまう。それでも、追いついてこないので、少々焦り出した。
 駒形山の頂上に着くと、さっきの男の子が、「お父さんもう戻ろうよー」と言い出し、いよいよお別れの時がきたみたい。お父さんに、「後ろにいる連れへ御西の小屋で待っていると伝えて欲しい」とお願いをし、昼食の準備もあるので、毛利さんと先を急いだ。
 それにしてもここはコバイケイソウの花畑だ。それにニッコウキスゲもたくさん咲いている。他にも小さな花々がたくさん咲いて、花も短い夏を楽しんでいるようだった。
 コクドの佐藤浩哉さんから教えてもらったのだけど、コバイケイソウは毒草なのだそうで、食べると死に至る怖ーい花なのである。綺麗な花から、根っこの先までが全てだということで、ボヤボヤーとした外観とは違って、中には毒をたたえているという、恐るべき相手なのである。
 雪渓からの涼しい風を浴びながら、花を楽しみながら、写真を撮りながら歩いていく。
 次第にあたりが曇ってきた。いつの間にかギラギラの日差しが顔を引っ込めていた。涼しくて歩きやすい。もう、下界へ降りるような気持ちにはなれないのであった。
 しばらく行くと、何やら工事をしているような音が聞こえてきた。お昼前に御西小屋へ到着。立派なトイレを作っている最中らしい。こちらも、それほど大規模ではないけれど、お昼ご飯を作らなければならない。お湯を沸かして、今日はカレーうどんなのである。今度は、朝のような失敗がないように、適量のわかめとねぎを入れて作る。
 わかめを見るたびに思い出すのが、コクドの元上司軽部親分の話。本四公団の連絡橋を作る現場に居たとき、熊谷・国土・若築JVだったらしいのだけど、現場代理人全員がゲーハ−で、週に一度ダイバーが取ってきてくれたわかめを食べる「わかめ会」というのがあったらしい。わかめがゲーハーに効いたのかどうかは、内緒。(^^)
 カレーうどんを食べて、コーヒーを飲み終わったのに、待っても待っても平沢さんが来ない。かれこれ、到着してから1時間以上過ぎている。まずい。毛利さんと話し合ったけど、このままのペースだと、花梅皮小屋到着が夜7時〜8時になってしまう。そんなになってしまえば、テントも張れないし、夕食の準備だってできない。今回の旅最大のピンチなのである。股ズレ以上にピンチなのである!!相談の結果、先に幕営地まで行き、準備をするしかないという意見で合致した。
 平沢さんが、やっと到着し、「かくかくしかじかである」と伝えると、「えー?そーおー?そんなにかかんないでしょう?大丈夫だろう?」と、気の抜けてしまうような返事が返ってきた。「とにかく、先に行って準備をしないと今夜は食事も寝ることも出来ない」といい、「平沢さんの上に乗っている重そうなの俺が代わりに背負うから」と、荷物を手にすると、「あ、そーお?悪いねー。」と手渡され、自分のリュックの上のところへ乗せ、はさんだ。今回は、32キロくらいの荷物だったけど、減ったのがワイン2Lくらいなので、水が増えたぶん、まだ30キロは切っていないように思われた。預かった荷物が、2〜3キロか、3〜4キロか、まあ、仕方が無いのである。上を向いても頭がリュックにつかえて高いところが見えない。頂上がわからないから、下を向いて歩くしかなく、「あれれ?いつの間にか頂上に着いていたよ!」的な、心がつらくならない山登りが出来そうであった。
 「この先は、迷うようなところは無いだろうけど、大丈夫?なるべく急いでください」と言い残し、心配な気持ちと心配な空を抱えながら、背中にはさらに重くなったリュックを背負って歩き出すのであった。日本風に言うと、「山で遊ばせてもらう」でも心の中は、「竜の持つ玉を取りに行く」という、外国風山登りの心境になってきたのであった。

つづく  



一覧へ戻る TOPへ戻る