日付 2010年07月30日 
タイトル 谷川岳2010 Part2 
内容 一の倉沢からの帰りのルートは、「新道」と書いてある、川沿いの道を選んだのだけれど、出発してすぐ、左手の岩肌にレリーフの様なものが沢山貼りつけてあり、「○○年○月○日○○○○君遭難」などと、20代前半の遭難が記されたものが沢山あり、やはり、ある意味世界一の山に驚かされながら、下り始め、随分と下りると、川と同じくらいの高さになり、水平な散歩道は、川風が気持ち良かった。

平坦だったけれど、石川さん「足が攣った」と言い、いつもの薬を飲んでいたけれど、やはり汗をかくのであっという間に塩分が抜けてしまうのだと思った。前回のツライツライ山も、暑さのせいだろう。私も初めて山で足を攣ってしまったのだ。

あっさりと合流地点に到着し、車道からの照り返しで益々暑くなってきたのだけれど、せっかくだから土合駅へ行ってみようという事になった。

土合駅は、日本一のモグラ駅と言われており、地中のホームの標高は 583m、ホームから改札口までは距離338m、462段の階段を上るという、とても今時の子供やお年寄りに優しい社会とは全く相反する、一般的な大人が、グウの音も出ないくらいに叩きのめされてしまうような、恐ろしい駅なのである。
だって、ふつうに大宮駅あたりに行って、(別に仙台でも古川でも郡山でも可)突然、「この先462段の階段ありガンバレ!!」って書いてあっても、重さ50kgのスーツケースを持ってきてしまった人などは、間違いなく半日はかかると思われ、今時そんな恐ろしい駅に、エレベーターも、エスカレーターも付いていないというのは、私達一般市民へ対する挑戦としか思えないのである。
挑戦されたからには、「おーし!!受けてやろう!!」というのが、私須藤淳一的正しい選択ではあるのだけれど、本日はバスに5時間も揺られてきた訳で、おまけに3時間も歩かされている(全く自主的でない)訳であり、暑い(全員同じ)訳でもあり、以前に一度行って嫌な思い出しか残っていない訳でもあり、明日本番という訳であり、早く宿に帰ってひとっぷろ浴びたい訳でもあり、ビールも飲みたい訳でもあり、非常に辛く、心が痛んだのではありますが、潔く遠慮した訳であります。
(しまいには、「→改札口はここから17m」の看板が挑戦を超え、イヤミにしか見えなかった)

さて、「土合山の家」へ戻る道、私は駅から道路を歩いてきたのだけれど、なんと線路を歩いている大の大人の集団がいたので注意をしたら、浩哉さん達だったので、「なんだ、坂を下ってまた登ってきたのに、こっちの方が良かった!!」などと、思いながら歩いていると、程無く宿に到着し、すぐ部屋に荷物を下ろし、風呂に入り、全身の汗を流し、部屋にはエアコンが無く暑いので(こんなに暑いのは土合始まって以来の事だそうです)玄関で毛利さんと、高橋マスターの3人でビールを飲み始めた。
すると、いきなり大雨と雷が鳴り始め、涼しい風も吹き始めたのでありました。歩いている時でなくて良かった。

しばらく歓談をし、夕食の時間になり、相変わらず山の家にしては豪華な食事(カニまであった^^)を頂き、ビールを16本平らげ、全員が持参した酒は2階の特設宴会場(部屋は2人1部屋だったのに、宴会のために1部屋空けて、3人1部屋で寝る事になった。遊山会において、飲み会のウエイトは旅の50%以上を占めているようです。睡眠より宴会を取るらしい)に並べられており、田酒(でんしゅ:青森の超有名な逸品。スバラシさは日本酒のボルドーと思われる)をはじめ、ワイン、焼酎、ウイスキー、何でもあるのです。

明日が本番なので、9:30終了と、2次会スタート時に宣言した浩哉さんは、30分ずつ終了時間を延長し、すっかり11時過ぎまで宴会は延々と続いたのでありました。

まあ、9:30に正しく寝るような遊山会ならば、長くは続かないと思うけど・・・なにしろ、山行の中で一番盛り上がるのが夜だからね。

つづくけれど、明日から大阪なので、続きは来週かも・・・ 



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