日付 2010年08月07日 
タイトル 大阪夏の陣4 
内容 翌朝も、きちんと晴れていて、いよいよカエルおじさん事まこPqb
寿仙ファミリーと別れ、(カエルおじさんは梅田で金券ショップを回って、ひと儲けして帰るらしかった)一足先に戻る日だった。

新大阪まで、寿仙、まこPが送ってくれた。
なんと車で15分掛からなかった。本当にいい場所に土地を購入したものだ。
やはり、不動産は建物ではなく、土地であり場所である。場所が良い=土地の力となる。

新大阪で握手して別れ、年末のライブで会う約束。
久しぶりで、「寿’s」(ジュズ)という、学生時代のvo寿仙、bさかね、gジェンドー、drスドウを復活しようという話になっていた。

のぞみに乗り、東京へ。
東京→大宮へ行き、スぺーシア鬼怒川という特急に乗り、鬼怒川温泉駅で乗り換え、そこから田島→七日町(会津若松市)まで。

6時半に寿仙邸を出てから駐車場集金のため、東栄24パーキングまで来たけれど、9時間半もかかった。
しかし、初めて乗る路線でもあり、今回は全て楽しい仕事となったわけです。

集金を終え、若松駅へ。
しばらくすると快速の郡山行きが来たのだけれど、懐かしい特急「はつかり」の車両だった。
この電車には思い出があり、私は4才の頃から、何度もひいお爺さんのお供で、関西、関東、北陸、東北を旅してきたのだけれど、その頃に良く「はつかり」に乗っていたのと、4才の時、父親の転勤で暮らしていた宇都宮から福島へまた転勤があり、母校作新幼稚園を後に、宇都宮駅から両親に手をひかれ、弟と4人で乗ったのがこの車両だった。

いろいろな事を思い出させられる旅だった。
小さい頃によく訪れた大阪。
当時は、東北線特急で福島〜福島から上野まで3時間半。
急行だと4時間。東京〜大阪まで3時間半。今回は4時間で新大阪まで着いてしまい、便利になったけれど、もう少し楽しい時間を長く過ごしたいものだとも思った。
幼いころ、おじいさんとの帰り、急行松島で、落雷の為停電にあい、2人で上野から7時間かけて帰ってきたのも楽しい思い出となっている。
おじいさんは半袖のシャツを着ていたのに、背広を私にかけてくれて、「大丈夫だよ」「いいから」と、二人で譲り合った事を今でも鮮明に覚えています。

あっという間に時代は移り変わり、それは人々の努力と知恵のたまものと思われるけれど、もう少しのんびりしてもいいじゃない?日本人?

そんな中、今日は東京から、従妹のひろみちゃん家族が来ていたので、これからわらじまつりを見せて、3人の子供たちにまこPのメイドかき氷を食べさせ、我がバンド「福桃」のベース譲二さんの「パイナップルハウス」で食事をするので、このあたりで。

いくつになっても旅はいいものです。

fin 

 
         


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