日付 2010年12月20日 
タイトル 東京へ 
内容 12月18日、19日の両日東京へ。

今回は、仕事もあったのだけれど、大学同級の大喜多と阿部が同時期に入籍ということで、それじゃあ、みんなで集まって御祝いするべ!!ということになり、福島からは私とまこP(スマイルチケット店長)、いわきから菅波(もと山田)専務、会津から和田君、大阪から寿仙、東京から坂根、なおなお、木崎、かんちゃん、亀谷が集合。

私は随分と前に泊まった事のあるニューオータニを久しぶりで予約したのだけれど、目の前に富士山と東宮御所、新宿のビル街が見える、18階の良い部屋を用意してもらえた。

 夕方、和田君が早めに到着したと寄ってくれて、「東京でもこんなに富士山が綺麗に見えるのは珍しいな」と、一緒に少し飲みながら(木崎へのお土産人気一のそば焼酎空けちゃいました)窓の景色を眺めていた。
 和田君と私は20〜30代たまに赤坂あたりで一緒に飲み、四ツ谷にある国会議員宿舎に泊まっていたので、久しぶりで赤坂四ツ谷界隈で再会というのも、感慨深いものがあった。あれからもう10年以上が過ぎてしまった。

 JR四ツ谷駅から上智大学の前を通り、ニューオータニまで向かう景色は、久しぶりだったけれど、それほど前と変わっていないようで懐かしくも思われた。東京も案外変わっていないのだ。

部屋を出てタクシーに乗り、来年で取り壊されるという赤坂プリンスの前を通ると、有名なホテルの窓の明かりを使ったクリスマスツリーが点灯していた。でかツリーを横に見ながら丸ビルへ。

車内で話していたのだけれど、以前一緒に皇居のあたりをタクシーに乗っていると、隣にピンクのジャガーが停まり、「和田君見て!見て!カル―セル麻紀!!」というと、「三輪明宏だべ―!ギャハハ!」と笑われ、「三島由紀夫に妖艶と言えるのは三輪明宏だけだと言われた人だ」と、和田君らしいうんちくを聴いた覚えがあったので、三輪明宏だと覚えていたら、「違うベー!乗ってたのがカル―セル麻紀だべー!」と、全く意見が合わないままに、丸ビルへ到着。タクシーの運転手さんも、日本を代表する御釜の方々の話でかみ合わない私達を怪訝そうにバックミラーから見ていた。

丸ビル5階の「パパイヤリーフ」という、多国籍料理の店へ。
みんなだいたい揃っていて、あまり学生時代と変わっていなかった。まあ、その間にも何度かは会っているからなのか・・・

なぜか、ほとんどみんなが私と同じような、頭の側面を激しく刈り上げ、上だけ長くした髪型で、「パーマ店の若い従業員に勧められるまま」とか、「任せていたらこうなった」とか、同じような理由だったので、(私は中学の同級生床屋の遠藤に言われるがまま)はやっているのかも?と思い、今一番ナウな髪形をしている可能性が出てきたのである。

さて、相変わらず昔話で盛り上がり、一人ずつ近況を報告し合い、亀谷が独立を考えているとか、阿部は結婚するというのにすぐに無職になるとか、結構みんなそれぞれハラハラする人生を選んでいるようだった。

考えてみると、私をはじめ、まこP、菅波(山田)、木崎は経営者であり、卒業時はバブル最盛期で、全員が就職をした割には、としのり以外は一度務めた会社を辞めており、再就職を果たした者、しっかりと計画的に独立をした者+私のように他に道が無く独立をした者、がほぼ半々になっていた。激動の世紀末〜21世紀を生きているわけだ。

それにしても、第3の勢力が急速に拡大しており、和田君と阿部は無職ということだから、これも新たなグループ構成の一部となってきたようだった。(和田君は、会津へ戻っており、NPO法人の立ち上げに忙しいようだった。阿部は根っからの営業マンだから、いずれ新しい就職先を見つける事だろう。「須藤ちゃん東京にビル買って!!俺が管理人やるから!!」などと言ってはいたけれど、一つ場所にとどまって仕事をする事など、阿部に出来るはずがない ^^)

2次会はカラオケボックスへ。亀谷、木崎、坂根、寿仙、和田は元バンド仲間なので、当時の歌で盛り上がった。

私は10時過ぎにはホテルへ向かい、一足先に別れた。


翌朝は、少し雲が掛かっており、残念ながら富士山は見えなかった。
40階のレストラン、「トップオブタワー」で朝食。席は宿泊した部屋側だったため、眺めはあまり変わらなかったが、迎賓館と東宮御所が森の中に沈んでいるように見えた。

朝食は「可もなく不可もなく」という感じだったけれど、不満を感じたのは納豆が無い事くらいで、豊富なサラダ、シェフが目の前で調理するオムレツ、野菜炒め、スープもあり、大好きなソーセージを茹でた物も2種類あるし、コーヒーも美味しいし、満足だった。

外国人や、医者、弁護士などが多く、やはり日本を代表する高級ホテルなのだとあらためて感じた。

素晴らしいと思った事があと2つ。ウエイトレスの若い女性も、外国人の話しかけにしっかり英語で答えている事(まあ、当たり前なのでしょうか?)、10時までが朝食なのに、10時ギリギリに来る客もおり、ビュッフェの食べ物を下げるどころか、10時を過ぎても不足した食べ物は次々に運んでくる。

まあまあ高級と言われ、夕食は部屋出しをし、朝食はビュッフェなんて旅館でも、時間が来れば次々と下げてしまうのに、さすがである。(まあ、普通に入ると朝食なのに4000円近く支払うようなので、そのくらいの余裕がないとね。)

12時まで部屋でゆっくりして、チェックアウト。タクシーで東京ミッドタウンへ。途中で昨夜の仲間や、臼井かつみさんからメールが入り変信しながら歩いていたら、ミッドタウンの入り口(車寄せから)が分からなくなり、ドアマンのおじさんに教えてもらった。

ミッドタウンは高級な専門店ばかりで私にはあまり用が無く、眺めるだけになってしまったけれど、12時半くらいに良さげな鉄板焼きの店を見付け、予約をしておいた。
1時半に電話が鳴り、「席が空きましたのでお待ちしております。」という事で、「喜扇亭」という店へ。人形町の今半が出している店らしく、並んでいた夫人が「前にテレビでやっていた所だ」と話していたので、なかなか有名な店のようだった。

「ステーキ弁当3,990円」というのがあったので、御膳か何かで出てくるのかと思ったら、一番奥の良い部屋を準備してくれて、目の前で「馬場さん」という方が、素晴らしい手さばきで焼いてくれた。れっきとした鉄板焼きで、弁当ではなかった。

馬場さんと話をしていると、
長崎の出身で小さな頃親に連れられ東京へ出てきた。
お兄さんがいわきで小学校の先生をしている。
お兄さんは中央台に住んでいる。
先週お兄さんの所へ行ったばかりで、いわきのマグロが安くて驚いた!!
などという事で、私の方は
中央台にあるいわき明星大学のOBで、同級生2人の結婚祝いがあって東京へ来ている。
私は福島から来ている。
今日の夕方に新幹線で帰る。
学生時代は中央台のマルトでよく買い物をしていた。あの頃はマルトしかなかった!!
などの話題で、共通点が多いものだから、ビールも2杯飲んでしまい、鉄板焼きの最後にガーリックライスを作ってくれたのだけれど、ご飯が普段の倍くらいあったので余ってしまい、お土産まで持たせてくれた。
とても良い方で、自宅でも家族に料理を作ってしまうという、料理が好きでそれを生業にしているという事だった。
ミッドタウンへ行く機会があれば、是非お立ち寄りを。(ちなみに、喜扇亭のメニューに帆立貝が付いた同じようなコースが郡山のホテルハマツ最上階のハマという鉄板焼きの店にもあるけれど、こちらは食事だけで10,000円/人くらい支払う事になるので、六本木で、ミッドタウンで、この値段で、あの味ならば、超割安だと思います。肉もとろけました。
指名も出来るということですから、馬場さんと名刺交換をしてきたので、「須藤エンタープライズのホームページを見て来た」と言ってもらえれば、気さくな東京人馬場さんとの楽しい会話と、六本木の景色を見ながら、すてきな食事ができます。)

ミッドタウンを後にし、六本木ヒルズまで歩き、テレ朝の1階を見て、浜口の「採ったどー!!」のノートを4冊ほどお土産に購入し、少し様子を見ながら歩いて、日比谷線→丸の内線を乗り継ぎ東京駅へ向かう。
六本木界隈は、以前より人の数が少ないように思われ、表通りから1本裏通りへ入ると、なんだか東北で良く見るようなシャッター通りのようになってしまった場所もあり、東京も不景気なんだと、改めて感じてしまった。

日比谷線六本木駅で、BSBの沢里さんから電話があり、「コンサート会場に入れない!!」と、困っていた。
実は、エイベックスの知人から、坂本龍一さんと大貫妙子さんのコンサートがあり、関係者席に空きが出来たので来ないか?と言う事だったのだけれど、今回の東京のチケットを取った後だったから行けず、沢里さんとお友達をご招待していた。
「須藤淳一」と言えば分かるようにしてもらっていたのだけれど、受付の場所が解らなかったらしい。連絡をとり、受付を教えると後は電話が無かったので、知らせの無いのは良い知らせだろうと、地下鉄に乗る。(無事に入れたようでした。夜メールが来た)

六本木界隈は、以前より人の数が少ないように思われ、表通りから1本裏通りへ入ると、なんだか東北で良く見るようなシャッター通りのようになってしまった場所もあり、東京も不景気なんだと、改めて感じてしまった。

日比谷線では、子供に快く席を譲る女子高生がいた。
清楚で頭の良さそうな子で、にこにこしながら「どーぞ!」と声を掛けてくれる、こんなスバラシイ子もいるもんだと、感心してしまった。

今回の東京は懐かしい仲間、素晴らしい出会い、景色、食事に恵まれ、良い旅となりました。
帰りの新幹線でいつもの「タカラ缶チューハイレモン」を、定量の2本飲みながら、振り返りながら、無事19日日曜日夜にに帰って参りました。
都会へ行ったのに、とてもほんわかした気持ちで戻る事ができました。 



一覧へ戻る TOPへ戻る