日付 2007年02月28日 
タイトル 飯豊山9 2005年12月07日 
内容 御西の小屋を出ると、雲が晴れてきた。右側に雄大な景色を見ながらのまたまた稜線の散歩なのである。まるで、緑色のじゅうたんを敷いたような、そんな草原が延々と広がっている。素晴らしい景色に目を奪われながらも、だんだんと下っていく。せっかく登った山をまた下っているのである。縦走なので仕方が無いけれど、こういう長丁場になると、とても、もったいないような気持ちになってしまうのである。
 しばらく歩くと、前にも歩いた記憶のある場所に出た。痩せ尾根を歩くルートで、笹の枝が折り重なっている。だが、前よりもとても整備されて、歩きやすくなったようにも思える。「よーよー毛利さーん!左側がすごいよー!まっすぐにきりたっているよー!すげー景色だなー!!」と声を掛けると、「ほあー」と、力のない返事が返ってきた。あれれれれ?元気が無いけど、どうしたのかな?と、少し心配していると、「須藤くーん。右下にルートがあるけど、あっちが本当のルートじゃないの?」と、言ってきた。
「いやいや、そんなはずはないよ。前もここを通っているから」
「いや、絶対に違うよ。あれが間違いなくルートだよ。俺はあっちへ行くよ。」
と、もう言ったか言わないかのうちに、来た道を戻り始めていたのだ。仕方がないから、後ろをついていったが、やはり、違う。間違いなく、さっきのがルートなのだ。
「毛利さん、俺はあっちから行くから、絶対に間違いないから。」
「いいや、俺はあっちを行く!」
毛利さんは、そういうと、すたすたと来た道をどんどん戻っていくのである。
「じゃあわかった。俺は稜線を行くから、後で合流しようよ。」
「わかったー。」
そう言い残して、自分は自分の信じる道に戻っていくのである。(ちょっと人生の分かれ道みたいだな。)
 やはり、間違いはなかった。絶対に前に通った道だ。 左側が1000mくらいだろうか、切り立った稜線になっている。右側が笹薮と崖の連続で、とても気持ちがいい。毛利さんは、どこで合流するのだろう?かれこれ別れてから15分くらいたったのに、まだルートは合流する気配がない。
 さらに5分くらい経った頃だろうか、後ろから、「おーい」と聞こえた。毛利さんだ。「おーー!」と返事をして待つのだが、いつまで経っても来ない。そのうちに、後ろから人の気配がした。パトロール中の地元山岳会の方のようだった。そのすぐ脇のがさ藪が、「がさがさがさがさ」と音がしていて、「誰だ!熊か!?人か!?」と、パトロールの人が声を掛けると、「人でーす」と、毛利さんの声がした。なーんだ。もうりさん、藪コキしていたから遅かったのね。あやうく、鉄砲で撃たれるところだったじゃあなーい毛利さん!!(@ρ@)
 がさがさと、15分くらい待った頃に、毛利さんいよいよ到着。大変だったみたい。っていうか、今日の15分20分貴重なのに、ここで藪コキしてばててどうすんのよ毛利さんっ!!
 このあたりからがまた大変だった。アップダウンがいやというほどあり、精神的に参ってきた。なんだか、変におかしくなってきて、なんてことはないのに、声を掛けると笑ってしまう。
 「毛利さーん。ひゃはっ。つらいね。ふっふっふっ。着いたら、ぐぎゃはははは(^b^)ビールあんのかなー!?あったら、ひーっひーっひ!うまいんだべなー!えーんえーん(TcT)」
 こんな感じ。自分でも怖いのである。
 何箇所か、少し迷いそうなところがあり、下見をしながら慎重に先へいそぐ。平沢さんが大丈夫か、とても心配だった。そういえば、どうやらいろいろと懐かしの道具シリーズを沢山持ってきたようで、靴も30年前に履いていたのを久しぶりに引っ張り出してきたようなのだけど靴底が劣化して、剥がれてきたらしい。
平沢さんに靴ヒモ(スペア)をあげて、それで縛っておくように言ったが、なかなかガレバも多いのであった。ここは、小屋の手前に烏帽子岳という難関が待っている。御西の小屋から、一番低いと、御手洗池が1840mで烏帽子が2018mだから、高低差は180m弱だけど、その間にも、ニセピークがたくさんあり、またまた精神的にばててくるのである。
 梅花皮岳の頂上をかすめると、はるか下方に小屋が見えてきた。梅花皮小屋だ。うれしくなってきた。ゴールは目前。太陽も顔を出してきた。ここまで何度か小雨に打たれ、雷も鳴ったのである。
 長い長い下りをまきながら降りていくと、人が多くなってきた。いよいよ小屋へ到着なのである。
 テントも多くて、場所を探すのにも一苦労で、やっと2張分を確保。まずは水浴びなのである。

つづく
 

   


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