日付 2010年05月07日 
タイトル 角田山・弥彦山・多宝山 
内容 朝起きると、最後だった。みんなすでに起きていて、何やらうろうろしたり、準備をしたり、体操をしたりしていた。

あまりアルコールも残っていないようで、「今日はバッチリバッチリ!!」と、普通に過ごせる自信に満ちていた。(二日酔いでないという事です)

とりあえず朝風呂に入り、準備完了。

上がってくると、何やら不穏な空気が。
「どーしたの?」と聞くと、「カラオケ代と持ち込み料を取られている。3000円と5000円だ」と、モーちゃんが浮かない顔をして答えていた。
普通、カラオケ代がかかる場合は、「カラオケ代3000円ですよー。でも、歌い放題ですよー」と言うのが普通であり、持ち込み代がかかる場合には、「宴会場への持ち込みは5000円ですよー。それでもいいんですかー?」と、事前に知らせるのが常識であり、おまけに持ち込んだ酒は半分も減ってなく、カラオケはみっちゃんの詩吟2曲と、及川さんの「北国の春」だけだった。

そう思うと、ものすごく割高であり、国分町の10倍くらいの金額であり、この新潟市西蒲区巻の「愛幸」0256−77−2990の立地を考えれば、ものすごい暴利であると思われ、ムカついてきた。
岸田さんが、「一番安かったので選びました」という言葉が前頭葉のあたりに残っており、「安物買いの銭失い」と、言葉が浮かんできた。

朝食の時に親父がつまらない事を大声で話しながら何か運んでおり、文句を言おうにも、女性陣が「この食べ物はなーに?このお茶は変わってる!!」と、ご機嫌の様子だった事もあり、イチャモンをつけるタイミングを逃し、みんながバスに乗ってから話をした。
「普通、代金をとる時は事前に話すものだ。自分も商売をしているが、あんたらのやっている事はおかしい。常識では考えられない。」
「はー、そうかねー?この辺ではこうなんだ。」と、イカレポンチみたいな返事が返ってきた。
「せっかく、差来週にもう一度20人で桜を見ながら来ようと、愛幸に泊まろうと考えていたのに、あんたらも残念な事をしたもんだな!」と、イヤミたっぷり言い残し、最後にバスに乗り、みんなはそんな事も知らないであろう。親父とおかみに手を振っていたけれど、自分はものすごく後味が悪く、前だけ見て宿を後にしたのでした。
絶対におすすめできません。「残念な愛幸」「さらば愛幸」

その事を、バスに乗ってから、「須藤何を話してたの?」と聞かれたので、「かくかくしかじかこーゆーふーに言い捨ててきた」と話したら、何だかみんな笑いながら喜んでおり、斉藤さんは後ろの席でガッツポーズをしており、まあ、言う事は言って良かったのか?みんな同じ思いだったか?と、少し怒りがおさまった。

弥彦山を東側から間近で見るのは久しぶりで、以前三条に祖母と祖父が住んでいた頃に、寺泊へ母と祖母を乗せて買い物へ行った時以来で、あれから10年以上が経っていた。

歩き始めると、ものすごく立派な弥彦神社があり、巫女さんに、「どんなご利益があるのですか?」と聞くと、「商売繁盛」と、うれしい返事が帰ってきたので、小銭入れの中身を全部お賽銭箱に放り込み、パンパンと拝んできた。

お守りを売っているのを見付け、覗いてみると、熊手を売っており、大きさもちょうど良かったので、2本買って、両手に熊手を持ちながら、お金をかき集めるように登り始めたのでした。(最後のバスに乗るまでそのままで、さすが持ち続けるのは辛かった。お金も持ち続けるのは楽ではないという事なのか!?謎)

なんだか、朝の爽快感はどこかに消え、アルコールが全身にぶり返してきたような感じがしてきて、早くもロープウエイに乗りたい衝動との戦いが始まった。

いつもは、低い山だからと、登ろうなんて少しも思わなかった山は、実は急斜面の「弥彦山をナメンナYO!!」みたいな、まるで泉ヶ岳番長を思い出させるような坂で、汗が一気に噴き出してきた。実は、BALIへ行ってから、ものすごく汗かきになっていたので、アッというまいTシャツ1枚になっていたし(パンツはちゃんとはいてます)、タオルもすぐに汗だらけになってしまった。

我が事ながら、口を開けば「ロープウエイ」「下山」「ぶり返した」の連続で、周りのみんなは、とてもうるさかったと思う。けれど、本当に一生懸命そんな事ばかりを考えていたのだから、仕方が無いのである。

不運にも、「1合目」「2合目」の目印が、きっちりと丁寧に書いてある山で、自分が今どんな状況に置かれているのかが、すぐに解ってしまうため、いつもの「スタートから8合目気分」の登りは出来なかった。精神的に追い詰められるのである。

途中の7合目。やっと、アルコールが抜けてきた頃に小屋があり、休憩をとったのだけれど、高橋(喜)さんが、「梅の焼酎漬け」を振舞っており、おいしそうだけれど、絶対に酔うよなーと、遠慮していた。
さっきまでのドロドロの血液は今ではサラサラの健康人間になっているような気分でもあり、とても爽快だった。
「ああ!!美味しいよこれ!須藤くん、迎え酒だよ。すごくイイ!!」と、もーちゃんの悪魔のささやきが聞こえ、「もーちゃんが言うのなら、1つくらい大丈夫か?」と、食べてみたら、思いっきり焼酎ストレートの中に梅が浮かんでいるような濃さで、迎え酒どころか、一気に再度酔いになってしまった。
「俺のさわやかなひと時を返せ―!(TT)!」状態で、またもや振り出しに戻った体は、よたよたと頂上を目指して行くのだった。

稜線に出る頃には、人の気配が沢山あり、テレビ塔や、立派なRCで出来た休憩所やレストラン、おまけに小さな遊園地まである。

その反対方向が頂上と言う事で、佐渡島を右手に見ながら、階段を上ると、10分くらいで頂上にたどり着き、お宮を1周して、全員での写真も撮らずに、毛利親子と写真を撮り合っていると、もーちゃんが、「せっかくだから多宝山にも登るか?」と、せっかくの御利益ある山の「頂上」で、何やら不吉な事を言い始めた。
「またまた冗談ばっかりー!」と、毛利母と笑っていると、どうやら本気らしく、もーちゃんが言うには、「このまま登山ルートを下山するなら、多宝山にのぼり、ロープウエイで下りても時間は一緒」と、久しぶりで説得力のある、珍しくもっともらしいご意見をスラスラと語り出し、みんな何となく毛利催眠に罹っており、「うん。それもそうだな」と、まるでナウシカのオオムの目が次々に赤くなっていくように、みんなは次々と洗脳されていったのでありました。泣(TT)泣

少し多宝山へ向かうとロープウエイ乗り場があり、反対側には駐車場があり、私は、「なーんもみんなでお金払ってロープウエイに乗らなくても、ただのさんに電話してバスでここまで迎えに来てもらったら?」というと、全員が私の意見に賛成しており、ちょっぴり感激しており(そー見えた)やはり、少し酔ってるくらいの方が良い考えが閃くものだと、自分と酒は切っても切れない関係にあるのだろうなどと考え、多宝山へ向かうのでしたが、結局、自分の「バスTEL大作戦」が、「毛利多宝山攻略戦法」の後押しをした形になってしまい、いいんだか悪いんだかわからないまま、毛利催眠に罹ったまま、とぼとぼと歩き始めるのでした。
それにしても寒かった。

せっかく登ったのにかなり下りてしまい、また登りが始まると、30分もしないうちに多宝山山頂に到着。
今回初めて全員で写真を撮ろうという事になったのだけど、ちょうど「西蒲三山従走記念」という、自作の垂れ幕というか、紙で出来ていたのだけど、持って写真を撮っている方々がいたので、お借りして今回初の集合写真を撮った。

下山して、駐車場に着くと、ただのさんのバスがすでに到着しており、バスの前まで来ると同時に、雨が降り出した。

やはり、このメンバーは、雨を吹き飛ばし、自分達の気が済むと、雨を呼ぶのであろうか。かなりのツワモノ揃いの山行でありました。スバラシイ!!

バスで移動をして、岩室温泉街のそばや「わた膳」で、そばを頂いたのだけれど、コースでこずゆみたいなものから、おにぎりやてんぷらなどが沢山出てきて、とても美味しかった。
みんなはビールを飲んでいたのだけれど、私は18時から契約があり、指をくわえていた。

バスに乗り、帰路についたのだけれど、気の利かない浩哉さんは、相変わらずワインを飲んでいた。(まあ、さすがに3夜連続だったから、それでも私は平気でしたけど。)

無事、早めにいつもの吾妻パーキングで下ろしてもらい、別れを告げ、家に着いたのが17時前だったので、髭をそり、シャワーを浴びて、契約の準備を整え、18時からスタートした契約は、無事終了したのでありました。

今回も、いろいろありましたが、思い出深い良い旅でした。

fin 

   


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