日付 2010年08月07日 
タイトル 大阪夏の陣3 
内容 翌朝目覚めると、頼んでもいないのにものすごい晴れだった。
雨男まこPVS須藤・寿仙組の勝利。(二人は自称晴男・ハルオじゃない。ハレオトコ)
JR野田駅まで歩いてみたら、行きは迷って13分かかったけど、帰りはストレートで5分で戻れた。ここは、大阪の1等地なのだと、あらためて感心させられた。普通、坪100万円で取引されているという。
行きに迷ったおかげで、建売りの現場に遭遇し、朝から市場調査が出来た。
大阪の1等地だけど、2000万円くらいで売られている。4区画。ただし、1区画は土地が15坪と、東京並みだった。
成城に従妹が建て売りを買ったのだけれど、6000万円で土地が15坪だったから、大阪の方がまだまだ財布に優しい。
福島市でも、建て売りは2000万円前後で売られており、全国的にニーズは変わらないと思われた。(地域ごとのサラリーマンの収入にそう大きな差は無いものと思われる。)

支度をして、大阪の中心地へ。
阪神優勝でみんなが川へ飛び込んだり、カーネルサンダースが引き上げられた場所を起点にぶらぶらしてみた。
河川の改修工事をしていたけれど、水質から考えれば、護岸よりも上流からの汚水の流入を止める工事の方が先ではないか?と、思われた。
その点、東京は水道水まで美味しくなったという事で、石原知事は基から変えていったのだから、素晴らしいと思う。
ちなみに、大阪では、お湯の様な水が蛇口から出てきた。福島の、夏になると蛇口が結露する冷たい水に比べると、とても飲めなかった。(寿仙邸でも、バナジウムイオン水を購入して飲んでいた。インドネシアみたい)

遊び心のある建物が多い。足場用の防護ネットのようなものを付けているビルもあり、ある意味涼しげだった。その隣には、オシャレなガラス張りのアメリカの洋服店のビルがあったけれど、エアコンの電気代が半端ないと予想された。また、変わったというか、おもしろげな、ジョークの効いたような建物が多いように見受けられ、奇抜なものが目立った。
11:30くらいだったので、昼食という事になり、ラーメンを食べる事に。
寿仙イチオシの「一蘭」という、博多本店のとんこつラーメン店へ行ってみた。
入り口で券を購入。とんこつラーメン、替え玉0.5玉分、ネギ追加盛で990円。店内に並ばずに入る事ができた。(帰りは炎天下の中、行列になっていた)
席へ通されてビビった。カウンターのみ。1席ごとに完全に仕切られており、「ラーメンに集中して食べる事が出来るように」という店の配慮(?方針?)だという。
ラーメンが出てくると、厨房との間も仕切られ、完全に密室状態になった。空いているのは後ろだけ。多分、ここで変顔や、昼寝、化粧などをしても、誰にも知られる事はないだろう。
味はものすごかった。最後の1滴まで干した。濃厚の中にさらに濃厚があり、後味のなかにもう一つの後味があった。
さすがくいだおれ大阪。鮨番長とラーメン番長、2日でどちらにも出会えた。

大変満足をして、車で富田林へ。途中、エイブルと、ピタッとハウスと、アパマンショップが並んでいるのを発見し、「そこまで激戦区なのか!?」と、3人で笑ってしまった。
その後は笑えなかった。西成地区へ迷い込み、まるで日本では無いみたいだった。無法地帯だった。何事もなく無事脱出できて良かったと思う。
西成を出てから、「スーパー玉出というのがヤバい!!」と、2人が言うので、何がヤバいのか?というと、弁当が100円で売っており、怖くて食べたことが無い。というので、食べもせずに怖がるのはおかしいと、惣菜100円×2、158円×1を買ってみた。
ゲラゲラ笑っていたけれど、勿論、寿仙妻も「絶対食べられないですよ!!」なんて言っていたけれど、試しに夜食べてみたら、ものすごい下痢をしてしまい、翌日帰りの新幹線も東京までお腹が少し痛かった。遠くの雷鳴という感じだった。(勿論、食べている途中でみんなの言う『ヤバさ』のような感じが口の中に広がり、完食はできませんでした)

さて、富田林に入ってくると、会場周辺はものすごい騒ぎだった。警察が装甲車を何台も出しているし、屋台では上半身裸の男たちが数人で汗だくで焼きそばを作っており、絶対にお客さんは、つゆだくではなく、汗だくの焼きそばを食べているものと思われた。

会場は、まだ人がまばらだったけれど、ちょうど良い場所を押さえ、木陰で涼んでいたものの、じっとしていても暑くて汗が止まらなかった。

寿仙は、私とまこP、荷物を下ろすと車を止めに行き、なかなか帰って来なかった。
しばらくすると、「入口まで来て!!」と電話があり、汗だくでつらそうな顔をした寿仙が入口に立っていた。24年も付き合っているけれど、あんなにつらそうな寿仙の顔と、あんなに大量の寿仙の汗を初めて見た。「あー、汗かくんだ^^)」って感じだった。
寿仙はそのまま、逆方向の駅まで30分歩いて、家族を迎えに行ったのだけれど、駅にはコンビニすらなく、さすが機転のきくヤツは、駅をいくつか戻り、マック(関西はマクド?)に入ることが出来たようだった。

夕方になってくると、ものすごい数の人が入ってきた。有料の会場だけで2万人くらいは居ると思われたけれど、全体ではなんと22万人もの人が集まっていたという。22万人といえば、あと+7万人で福島市の人口になる訳で、福島市民がほとんど移動したような状態という事であり、とんでもないお祭り騒ぎであることが分かった。

家族を連れて、寿仙が戻ってきた。次第に薄暗くなっていく。
入口に売店があり、その前のごった返しているところに、男女が横になっていて、何やら絡み合っていた。
男は靴下にパンツ1枚の姿だった。次に行ったときには、テントを建て始めていたけれど難行しているようで、最後に行った時には諦めたのか、靴下にパンツ姿でまた横になって抱き合っていた。さすが大阪!!スバラシイ!!

花火の時間になると音楽が流れ、いよいよ花火が始まった。
「いよいよ始まりまーす!!」と、放送で言ったとたん、爆発が起きた。あれは、花火ではない。爆発だ!!確かに爆発だった!!
15分間の爆発を終え、「煙が流れるのを5分間待ちまーす」というと、5分後にまた爆発が起こった!!爆発!!爆!!!
また、15分くらい爆発を続け、10分休憩を取ると、最後の爆発が起こった。爆!!!爆!!!!爆!!!!!
一度鳴りやみ、再び何発もの花火が一斉に高く上がっていき、ものすごい光とものすごい「どどどどどどどーーーー!!!!」
という音とともに、ドカーン!!!と、爆風が吹いてきた!!
戦争だった。完全な戦争だった。絶対に戦争だった。

あまりの凄さに、笑い続けて見ていたけれど、最後の爆風だけは一瞬、笑いが止まった。1時間であんあに楽しい思いが出来るのかと、また、19:30〜1時間のために22万人もの人々が昼過ぎから集まるのだと、それは、福島からも行ってしまうのだから、22万人になるのだろうけれど、福島からでもまた行きたいと思った。
しかし、前は10万発撃っていたというのだから、どんな事になっていたのだろうか。今回が1時間で2万発。その5倍だから、爆風が吹き荒れていたことでしょう。そんなのも見てみたいものです。
さて、帰りは、駐車場まで荷物を持ち、40分歩いた。坂を上って下りて、遠かった。寿仙はさすがに音をあげていた。子供たちが以外にも元気で驚いた。子供はすごい!!

駐車場は、先にバス専用駐車場からバスを出し、バスが出終わってから一般車を出すという警察の対応に、私達一般車両を停めている駐車場の主人が怒っていた。
そこに寿仙の奥さまが入り参戦。一歩も引かなかったらしい。
そのあと、選手交代で私が参戦。
バスの間に一般車両が混ざり始めたので、「一般車も走ってるのになにが交通規制だ!!」と、大モメになり、いよいよ警察も折れて、規制解除となったわけです。大阪の駐車場のおじさんは、熱くて警察にもしっかり主張する、かこいい方でした。

寿仙の富田林に居る友達が、裏道を教えてくれたおかげで、自宅まで1時間で帰る事が出来、あの大渋滞の中案外すんなりでした。

しかし、人口29万の田舎に住む私には、ものすごいカルチャーショックで、小さい事は気にしないように、少し考え方が変わってしまいました。
大阪人のイケイケなところや、底抜けに明るいのがなぜなのか、少し分かったような気がします。

つづく 



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