日付 2011年02月03日 
タイトル エジプトは燃えているか 
内容 エジプトである。
懐かしのエジプトが、まさに生まれ変わろうとしている。

私が旅をしたのは、31歳の頃、今から11年前。ピラミッド前で銃乱射事件があり、当時は軍が主要幹線道路の100mおきに配置され、軍人が自動小銃を肩に掛けていた。

平和とは言えなかったけれどしかし、今の非常事態よりははるかに安全な旅だった。

懐かしいカイロ博物館が壊され、ミイラが壊され、略奪が行われ、タハリール広場に10万人以上が終結し、温厚なエジプトの民らしく平和的解決を目指している。まさかあれから10年程でこんな大変革が起きるとは思ってもいなかった。

今回の暴動の原因は・・・
1.エジプトは30年間ムバラク大統領の独裁政権が続いていた。
2.国民は、政治家の汚職、物価高、失業率の高さに怒りが溜まっていた。
3.大統領が次期大統領に息子であるガマル・ムバラクを推薦していた。
4.チュニジア等のアフリカのデモの影響が波及した。
上記4つが大きな原因のようです。

私が旅したのは、約10年勤めた日本国土開発の退職を決め、再出発する時。
当時本社土木本部長だった佐藤恒寿親分(出張先の沖縄から手紙を書いてくれた)、名古屋支店長だった石井英二さん(現専務取締役)をはじめ、多くの方々に引き止められ、また逆に正しい選択だと勇気づけられたりと、揺れ動いていた時期だった。

出発の約1カ月前に有給休暇が貰える事が分かり、HISへ駆け込み、相談をすると「キャンセル待ち」との返答。どこかもう1カ国、保険で予約しておいた方が良いというアドバイスで、北欧へオーロラ見学ツアーの予約をした。(その年は、12年に1度のオーロラ大発生の年だった。)
出発の2週間前に「キャンセル待ちがとれた」との連絡があり、いよいよエジプトへ行ける事になった。

高橋寿仙のマンションに前泊し、成田空港からブリティッシュエアウエイズに一人で乗り込み、当時はワールドトラベラーズシートという、ロンドンでトランジットをして別の国へ入る人に、ビジネスクラスのシートが貰えたので、旅行代金15万円のちょっとリッチな旅だった。

感動的な旅だった。一人で寂しかったけど、出会いや、ケンカ(特にタクシーの運転手と)、刺激的な人々、風景、文化、とても楽しい毎日だった。

自分を見つめ直すのにふさわしい場所であり、何だか懐かしいような、故郷へ帰ってきたような感覚で過ごしていた。(前世というものがあるならば、私は間違いなくアラビアで生きていたと思われる。もしかすると、ピラミッドを作った建設作業員とか??ラクダで砂漠を旅していたとか??)

エジプトの人々は、まず「持たない者に持つ者が差し出す」というイスラム教の精神が根底にあり、旅行者は必ず「バクシーシ」と、話しかけられます。簡単に言うと、「金をくれ」という事で、子供、すれ違った人、スフィンクスの警備をしている軍人(この人は肩から自動小銃を掛けており、「写真撮ってやるよ!」と話しかけてきたので、ありがとうと言いながら、写真を撮ってもらうと、「バクシーシ!」と言ってきたので、断りながら背中を向けたのだけど、真面目に撃たれるかと思った。)自称ピラミッドの案内人というオジサンなど、たくさんの人々がが言ってくる。
(自称ピラミッド案内人のオジサンは、もちろんバクシーシと言ってきたので、ボールペンをあげると、「これじゃあ食えない」と、本当に泣いていたので驚いた。^^)

でも、エジプトが貧しいのはわかっていた。部屋に置いたビーチサンダルは無くなるし、タクシーに乗れば30EP(エジプトポンド)と確認して乗っても、降りるときには平気で「50EP!」と言ってくる始末。本当は悪い人ではないのだけど、(本当に優しい人が多い)ここぞとばかりに旅行者から儲けようと、多くの人々が思っているようで、旅行者は気分を害す事が多い。

エジプトに住んでいれば、あまり努力しなくてもお金が手に入ってくるように思えた。だって、世界中の人が知っているピラミッドとスフィンクスがあるのだから。旅行客は宣伝なんかしなくても集まってくる。羨ましい限りである。 

国民が正しい判断をして、新しい指導者を選び民主化し、外国資本による投資と、内需拡大が行われれば、発展していくだろうと思われるが、最近の発展している国々は必ず貧富の差が問題となっている。
貧富の差が起きないように、上手に国が豊かになる方法は無いのだろうか?お金の存在を無くすのが、一番の近道とは思われるけれど、お金が無くても生きていけるようになってしまえば、誰も仕事をしなくなるかな?

砂漠を歩き、クフ王のピラミッド内部に入り、太陽の船を見て、ハーンハリーリの市場をさまよった旅は、あっという間に終わってしまったけれど、今でも私の心の中で鮮明に蘇ってくる。
安ホテル斜め向かいで焼かれていたシシカバブの味、世界で最初に作られたエジプトの世界で一番おいしいビール「ステラ」。
ツタンカーメンの黄金のマスク。(中は空洞です)
カイロタワーからの眺め、神秘的なモスク内部etcetc

詳しくは、お会いした時にでも聞いてください。不思議な体験もクフ王のピラミッド内で経験しています。

まあ、エジプトでの旅そのものが不思議不思議だったけれど、帰りのロンドンから成田へ向かうブリティッシュの機内で、夜中にふと目を覚まし、何やら外が気になったものだから、窓のシェードを空けると、赤いオーロラがギラギラと輝いていた。
あの時はこれからきっと、いや、絶対に頑張れる気がした。

次にエジプトへ行く時には、民主化に成功し、波に乗り発展をしているのか・・・

それにしても、茫漠とした風景と、土で作った砂色の建物の町並みも貴重であり、それを思うと発展だけが幸せではないと思うのだけれど・・・壊さずに発展する方法は無いものだろうか?

ピラミッド、スフィンクス、カイロ博物館、砂漠、タハリール広場、たくさんのモスク、ハーンハリーリ・・・膨大な観光資源を最大に生かすシステム作りと、教育、日本のおもてなしの心(サービス)を身につける事が、エジプトの民が幸せに到達できる近道だと、私は思っています。

アジア諸国に負けないように頑張って欲しい。

(なにやら、良く解りづらい話でスミマセンが、今私が行った経験と、現状を文章にするとこんな感じです。サービスで、エジプトの写真をあとで付けておきます。データがどこかにあると思うので。あの頃はまだスリムでした。) 



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