社長のDiary

コタキナバル8

ボルネオ鉄道に乗ってみた。

TANJUNG ARU(タンジュンアル)駅(ホテルからタクシーで5分)~KINARUT(キナルート)駅で寺院を見て終点PAPAR(パパール)駅まで。38.5kmしかないのに、2時間近くかかる。しかも、これを往復する。客室にエアコンは無い。扇風機はある。

こんな車内。オシャレですね。

カックイイーでしょ?オリエンタル急行みたい?

石炭ではなく、マングローブの木を使います。昔は日本にも薪を燃やして走るそんなバスがあったと聞いたことはありますが、薪をくべて走る列車は初めて見ました。(しかもマングローブを薪にしているのは絶対このボルネオ鉄道だけでしょう)

細やかなインテリアもステキです。

いよいよ出発。空港の先は海です。

近代的なデザインのキナバル空港は、飛行機の羽をあしらったデザイン。

海と反対側にはキナバル山見え!!2回目の登場ですが、午後は絶対に見えない。

オーストラリアのパースから来たサーケース夫妻。「JAPANは20日間旅して全国を回った!日本は食事も人も文化も最高!!」と、大の日本びいきで盛り上がった。おもしろくてちょっとワルなおじいちゃんと、上品で美人なおばあちゃん夫妻。「Mr.サーケース」と言うと、「Mr.なんていらねー。サーケースでいいんだ。席を譲ってくれてありがとう。友達になってくれ!!」エンジニアの会社を経営し、息子さんに譲ったばかりとか。「でも俺は命ある限り現役なんだ」と、熱いのです。かっこいい!!

出発前、一番後ろの席を両側占領していたのだけれど、ガイドが現れ「1カップル分の席が足りない。そこを片方譲ってくれないか?」というので、「OK」というのが出会いのきっかけだった。えらく感謝されて、握手して旅は始まる。娘さんはドクターと結婚している事、息子さんはまだ結婚していない。孫はまだ居ないんだと。おれは最初からトヨタに乗っている。昔はクラウンに乗っていて、今はレクサスを転がしている。トヨタ最高だろう!?JUNICHI(じゅにちと外国の方々は必ず発音されます)は仕事何だ!?デベロッパーは一番儲かる仕事だろう!?日本のデベロッパー東急はものすごいでかい会社だよな!!と、話は止まらない。行きは景色半分サーケースの顔半分見て過ごした。冗談ばかり言って、とてもおもしろいおじいちゃんと、それを微笑みながら見ているかわいいおばあちゃんだった。

列車は海からジャングルへ。そして、突然寺院が現れた。

線路を歩いて渡り、見学に向かいます。チャイニーズの寺院ですが、詳細は不明。建物の中にはお母さん一人と子供が5~6人居て、線香やとても手の出ないようなお菓子や飲み物を売っていた。

むむむ。誰かに似ているのであります。

ほらね!!^^

列車に戻ると冷たいおしぼりがお出迎え。何やら、南国のいい香りがします。

ミリンダ懐かしいでしょ!?変わらぬ味に感動!!味覚はいつまでも忘れないものです。

手を振ると、どこまでも手を振り返して追いかけてきた親子。素晴らしい光景でこちらも振り続ける。

ジャングルをゆく。ちょっと煙いけれど、悪い匂いではない。

終点で折り返し地点パパールに到着。

ターンテーブルで機関車は向きを変えます。左は上りのディーゼル車。異国の顔をしています。

パパールの下車時間は30分しかないので、駅前を往復して終わり。チャイナとイスラム系が共存していた。物があふれ、小さいけれど豊かな街に見えた。古き良き時代の日本、田舎の駅前通り商店街はこんな感じだったのでは?

路線バスたち。時間はアバウトで、満員になると出発するという話を聞いた。

「ジュニチ!エンジンがスゲーぞ!見て来い!!」と、サーケースに言われ、「OKOK!」と、もう一度見に行く。確かにすごい。けど、よく見るとシンプルすぎて、こんなんで本当に走るんだなーと、自分は逆の意味で凄いと思ってしまった。^^

パパール駅舎上空の空は高く青く澄んでいた。

PAPAR MOTOR SERVICE は、漢字で書くとこうなるらしい。中国人的御店。

帰りの車内で昼食が出る。腹が減っていて、写真に収める前に気が付いたら真ん中なんか半分食べちゃったんだけど、こんな感じです。印象は、うーん、味の薄い病院食に近いかな・・・それより、カレーピラフになんで干しブドウが入ってんのよ!!これは絶対許せん!!

ファインダー越しに目が合うと、機関士はニカッ!!と笑ってくれた。^^私の体は列車の外に出ていても一切おとがめ無し。外国は全て自己責任。

旅は終盤。草原を行く。エアコンは無いけど、風はとても爽やかだった。

線路脇の水たまり?川??に根を下ろすのはマングローブのようだ。海の方だけじゃないんだね。こんな山の中にもあるんだ。

信号なんか設置するより、人の方が割安なようで・・・機械式の信号は3カ所くらいしかなく、あとは全部人力手旗で踏切を仕切っていた。列車がくるまで、奥の小屋で待機しているらしい。スゲー!!信号のアニキと機関士のアニキは、踏切ごとに、何やら2~3冗談を言い合いながらやり過ごして行く。みんな明るい。

帰路の海。もうすぐ楽しい旅も終わろうとしていた。

道端のあちらこちらでラマダンマーケットが開かれている。

こんなニッサン「ナバラ」なんてー車、日本にはないけれど、なかなかかっこいいトラックですなー。山用に1台欲しいものです。

貧しそうな集落では墓石らしきものを作っていた。子供たちはどこでも明るく元気^^夢と希望でいっぱいなのでしょう^^貧しいのなんて一時的な事なんだから、目標を見付けてガンバレ!!

到着10分前に出たアイスクリームはメチャメチャうまかった!!これならコタキナバルへ移住できそう。

いよいよコタキナバルに入る。早いもので、もう戻ってきてしまった。(列車はメチャメチャ遅いんですけど・・・飛び下りても、走ればもう一度乗れそうなスピード。楽しい時間はアッという間です)

サーケースは途中、「ジュニチハニホンノドコカラキタンダ?」と聞くので、「FUKUSHIMA」と答えると「Oh!!ATOMIC BOMB!?」と返された。「大変だったなー。原発からは近いのか?」というから、「60km」と答えると、微妙な顔をしていた。「その距離なら大丈夫なのか?」と言うので、「大丈夫だよ」と答えたけれど、サーケースの微妙な顔つきのように、自分の気持ちもちょと微妙だった。日本語(福島弁)で言えば「よくわがんね!!」ってかんじ。

いよいよ列車はホームへヨタヨタと滑り込む。サーケース夫妻とは握手で別れ、「日本の良い友達ができた。今日は本当にありがとう。ジュニチのおかげで最高の思い出が出来たよ!」と言われたけれど、「Me Too!!Thank You サーケース!!」と言うのが精いっぱいだった。気持もいっぱいいっぱいだったのだけれど、私の英語もいっぱいいっぱいだった。

サーケース夫妻が宿泊しているLe MERIDIEN。午後3時頃に別れたのだけれど、夜の便でクアラルンプールへ移動するという。元気だし若いよね。また、いつかお会いしましょう。ちなみに、コタキナバル~クアラルンプールは同国内だけれど、クアラルンプール到着時パスポートの提示を求められるそうです。出国のスタンプをキナバル空港で貰っておかないと、入国(?)できない事もあるとか、スタンプを係官が押し忘れたけれど普通に入れたとか、結構いい加減らしいのですが・・・同じ国だけれど、同じ国という意識がないのか、仲が悪いのか・・・不思議な国です。南国はたいていの事が不思議だ。

こちらではTAXIではなく、TEKSIです。なんだか、アジアはいいなー。こういうのを見るとホッとしてしまう。

この日は8月でラマダン真っ只中の土曜日。汽車を降りた後まだ時間があったので中心地のセンターポイントへ行ってみると、ラマダンの夕食の買い物の為、イスラム系の人々が街へ買い出しに繰り出しており、なんとコタキナバルの中心地は車と人でごった返していた。車は30分同じ場所でじーっと動かない。誰も文句は言わない。一体どーなってんだ!?

つづく

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