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コタキナバル3
2011年08月18日 (木)

10年前の今頃私は、共同経営に失敗して、路頭に迷っていた。

所有物をほとんど売り払い、実家の仏間を借りて個人事業の準備を始めたのは10月になってからだった。

11月に入ると先輩から電話があり、「運転代行を始めたから手伝わないか?」という事で、現在の自分の状況を伝え、「昼間仕事をしようが、客待ちの車内で本や新聞などを読もうが構わない。夕方6時~朝4時か6時まで毎日働ける事だけが条件」と、願ったり叶ったりの返事が帰ってきて、私は本当に救われた。これで何とかなる。何とかしなければと、迷わずその日から手伝いを始めた。

大学同級生の小林真は、すでにチケット販売店をスタートしており、「こんな本が読みたいんだけど、持ってない?」と、連絡をすると、「ちょうど読み終わったところだから持って行って!」と、快く差し出してくれた本があり、それを客待ちの車内で5回繰り返して読んだのが今では懐かしい思い出となっている。ロバートキヨサキという、ハワイの日系4世が書き、ベストセラーになった「金持ち父さん貧乏父さん」という本。ご存じの方も多いと思われる。当時本当にお金が無くて買う事ができず、そのまま5回も読み返してしまったのだけれど、今回あらためて読みなおそうと旅行前に購入し、出発まで読まずにとっておいたのである。(地元へ帰ったら、小林君の方が汚れているだろうから、こちらの新しいのと交換したい。本当にありがとう)

私のバイブルである。

読み返して、8月13日に読み終えたのだけれど、ロバートキヨサキの書いている事を忠実に行っててきたのだなと、あらためて知る事になり、忘れていた事も思いだす事が出来、10年を振り返るのには大変良い機会だった。本当に、たくさんの方々に応援してもらった。同級生の斎藤亙は、当時JCの専務だった事もあり、週に2~3回私の車を利用してくれて、やつは心配とか、口に出したり絶対にしない男だけれど、とても温かかった。今ではたまにしか会えないけれど、(昔からだけど)頭が上がらない。人生という旅路の一つの区切り独立から10年目。ここまで来る事が出来たのは、本当にたくさんの方々のおかげ様であり、多大なる応援と力を頂いたみんなに頭が上がらないです。 m( )mありがとうございました。

 

旅の途中である。

飛行機が四国の上空に差し掛かった頃には、食事も運ばれ、手前黄色のがチーズを使った料理で、ものすごく美味だった。

メインは、肉・魚・チンジャオロースと言われたので、「チンジャオロース!」

仕上げのチーズとポートワン。1キロ太るけど、このポートワインの素晴らしい甘味とまったりとした舌触りはチーズと最高に合い、絶妙な感覚と味を楽しめる。ワインは10杯目くらい??

台湾上空

またもや上昇気流

いよいよ雲の下へ。

香港は雨だった。

つづく

コタ キナバル 2
2011年08月16日 (火)

10日、出発の朝は快晴だった。

朝日は画像を真っ二つにするくらいギランギランと輝いていた。

また別のポケモン機が。さらに1億追加というところでしょうか^^

エクセル東急の朝食の写真は無いけれど大変満足だった。

私の好きな納豆と、カレーと、ウインナー(これがあればあとはいらない。)、コーンポタージュと、オニオンスープは格別だった。あのオニオンスープは世界に誇れる逸品だと思う。ぜひ、一度ご賞味あれ。帰り後泊時にあったら写真うpします。

羽田の第1ターミナル~第2ターミナル~国際線ターミナルには無料巡回バスが6分おきに走っていて、9番バス乗り場へ行くと、すぐにバスが来た。山手線並みの運行状況、混雑具合は福島交通並みで大満足。^^(空いてて良かった)

今回は、キャセイパシフィックのビジネスを楽天トラベルでネット予約をした。これには理由があり、1つは選択肢が2つしかなかった事で、もう1つのチケットは、シンガポールエアラインのエコノミークラス、シンガポール経由があったのだけれど、9日の夜羽田発~シンガポール現地時間午前3時過ぎに到着。トランジットには5時間半余裕があり(ありすぎ!何をして過ごせというのか・・・)午前9時近くのフライト。キナバル空港到着は午前11時半であり、チャックインには早すぎた。しかも、帰りも夜中発早朝羽田着だから、絶対に疲れるし、最終日ホテルをチェックアウトしてから夜中までいかに過ごすか、行った事がない町だから、どうにも想像がつかなかった。しかも、エコノミーとは思えないくらい航空運賃が高かった。

もう1つの理由は、そこに少し足すと、キャセイのビジネスがとれた。香港経由だし、香港国際空港は久しぶりだけれど、何度か乗り降りしているから、全く知らない訳ではなし。一流キャセイのサービスにはいつも満足していたから、安心だと思っていた。香港からキナバルはドラゴン航空の運航だという事で、キャセイの子会社だから、問題なしと思われた。しかも、到着は18:30で完璧!!と、いろいろ想像がつきやすく、予定が立てやすかった。

キャセイのカウンターへ行くと、香港からはドラゴンではなくマレーシア航空の機材と運行へ変更になったとの知らせがあり、「チケットと座席はキナバルまで発行してもらええるのか?」尋ねると、「座席もこちらで指定できます」の返事に安心した。「出発までJALのサクララウンジをご利用ください」という事で、せっかくだからラウンジへ。しかし、ドラゴンに乗れないのは残念だけれど、マレーシア航空も初めてという事で、それはそれで。

さすがJALだった。ちゃんとした朝食から、スパークリングワインまであり、これもまた至れり尽くせり。去年のバリは、ガルーダのビジネス(これも格安だった)で、チャイナエアーだったか、中国東方航空だったか。成田のラウンジだったけれど、規模と内容が格段に違かった。

勿論、遠慮なくスパークリングワインを頂いたのでした。3杯。

この写真を見て思いだしたのだけど、11年前に会社員を辞めて、一人でエジプトを旅した時、カイロタワーでビールとナッツの昼食の写真を撮っていたのだ。場所と飲み物は違うけれど、そっくりで驚きました。あれから11年。本当に色々な事が詰め込まれたというか、濃密な濃厚なスパイシーな年月でした。

1時間程すると、キャセイ乗客への案内があり、一応400MR分(1万2000円弱)だけ両替をして、107番ゲートへ向かった。

ハワイ以来久しぶりの2階建のジャンボで、今回は1階席を予約。帰りの香港~羽田は2階席にしてもらった。

席に案内されるとすぐウエルカムシャンパンが運ばれてきた。キャセイのビジネスシートは素晴らしかった。11年前に乗ったブリティッシュのファーストクラスとそんなに変わらないように見えた。これが、フルフラットになる。小さい頃にダンボールで作った小さな家を思いだして、何だかワクワクでした。^^

いよいよ定刻通り出発である。到着は30分以上早めて、3時間33分で到着するという。スゲー!!もったいない!!でもスゲー!!

羽田を飛び出すとすぐに富士山が見送ってくれた。3日後には石森社長が浦安の小林社長とあの頂上を目指す。9月第1週には、仙台タクシーの佐々木社長や、東洋ワークの須佐社長、毛利さんらのグループも目指すはずで、そこには居なくて上から眺めている自分がなんだかとても不思議な感じがした。

富士山周辺は上昇気流だね。   良いことはつづく。旅もダイアリーもつづく。

コタ キナバル
2011年08月14日 (日)

2011年8月9日、南沢又分譲地8区画の残金決済を終え、昼にタクシーを呼び、JR福島駅へ。

やっと、久しぶりで休みがとれた。しかも、長期まではいかないけれど、中期の休みである。

1年越しの福島駅前24パーキングとビル3棟、店舗3棟の買収(岡さんには根気強く本当にお世話になった。)契約から完成までやはり1年を要した南沢又分譲地14区画、上浜町の大型土地建物の購入から完全な引渡しには半年がかかり、いろいろな物事が完結した6月に今回の旅を選んだ。

インターネットでシャングリラホテルを検索していたら、「Shangri-La`s Tanjung Aru Resort & Spa」を見付け、以前フィジーのシャングリラホテルで大満足している私は、迷うことなく「ここ!!」と、決めた。しかも、14日以上宿泊の場合には、25%オフ。一般の客室とスイートの間に位置する「キナバルクラブルーム」を選ぶと、毎日の朝食が付いていて、他にもキナバルクラブという、キナバルクラブルーム宿泊者専用のラウンジがあり、ジュースやコーヒー、お茶など、いつでも飲めるし、夕方5時からはアルコールと軽食が飲み放題食べ放題という、私にはうってつけの条件であり、宿泊費が一人7000円くらいということで、さすがマレーシア、至れり尽くせりである。

9日は、羽田のエクセル東急に前泊。滑走路側の、広くてきれいな部屋だった。

目の前にはポケモンの飛行機が停まっているし。

ポケモンが飛んで行くと、ランドのけんちゃんが好きそうな、昔のデザインの全日空機が入ってきたりする部屋だった。全日空は遊び心があって楽しい会社です。

ホテル直結の第2ターミナル(国内線)では、ポケモン祭りみたいなのをやっていて、ゲームに参加するとポケモンのトイレットペーパーが貰えたんだけど、地下にあるコカコーラの喫茶店へ手に持ったまま入ると、斜め向かいの女性にぷッ!と笑われてしまった。^^そりゃそーだわ。

夕食はホテル2階のフライヤーズテーブルでステーキを頂き、

遠くに東京タワーを眺めながら、いい空間で、素晴らしい旅の1日目を過ごす事が出来たのでした。しかし、旅はもう計画した時から始まっているから、もう1ヶ月半も旅をしている途中というところでしょうか。

雲は一直線に明暗が分かれていた。

部屋に戻ると別のポケモン機が到着していた。一体何機塗装したんだ??もう5機以上見ているけど。飛行機の全塗装には1機1億かかるそうだけど・・・

つづく

あっという間の1年・・・
2011年08月09日 (火)

6月末に決算を終えました。駅前計画も、スタートからちょうど1年で完成。何だか、本当にあっという間で。もったいないですね。もっと大切に1日1日を過ごさなければ。でも、忙しい1年間に、お世話になった皆さんに感謝しています。ありがとうございました。昨年よりも売り上げを伸ばし、満足いく決算だったと思います。

すっかり福島は、みんなが長期でどこかへ出かけていて、新潟や北海道が多いのかな?地震、原発事故、放射能汚染、多くの問題を抱えている町ですから、いいんじゃあないのかなー。のんびりしましょう!

なんか日本人は休み=「悪」って、よく言われますよね。、絶対に間違っている。休みがあってこそいい仕事が出来ると考えよう。

会社の上司や同僚の顔色を伺いながら、休みたいのに言えない。(自分も以前は同じでした。それでも、かなり多く休んでいる方だったけど^^釣りバカ日誌の浜ちゃんみたいな感じだったかな。建設会社に居たし。遊んでばかりだったし。)ストレス溜まりますよね。

一度、その建設会社日本国土開発時代に、木崎の結婚式でロスへ内緒で行った事があり、(木崎にも会社にも内緒)直属の上司にだけ話をして「5日間休む」という事で了解を貰ったのだけれど、「支店長、副支店長、ライン部長には言えないから、何とか誤魔化すしかないかー」と、言ってくれれ。ところがたまたま副支店長(私の日記に登場し、よく福島に蕎麦を食べにくる恒さん。今はアジア航測の理事の方です)が、「福島の事で須藤に相談があって電話してるんだが繋がらない。どうした!?」「須藤大丈夫なのか!?」「山にでも行って帰ってこれないんじゃないのか!?探せー!!」と、大騒ぎになってしまったらしく、渋々部長の康さんが「須藤、アメリカに行っています。」と、バレてしまい、支店中(100人くらいいましたけど)大笑いをしたと、後で言われた事があった。

それでも、「須藤らしいな!」と、笑い飛ばしてくれた恒さんら上司に救われたものでした。

なんか、私にはこのくらいがいいです。

最近、暗い話ばかりで、悪く悪く考える人ばかりで、もう少し、余裕を持って、楽しい事も考えて、行動に移して。それでいいと思う。あまり先の事ばかり心配しすぎて、みんな今行うべき行動が出来なくなっていませんか?悪い事を多く考えると悪くなっていくし、良い事を悪い事より多く考えると良くなっていく。

40歳を過ぎて、先が少しずつ見えてきて。今から15年返済で融資を受ければ、完済は57歳になる。完済してすぐ定年!?(自分に定年は無いのですが・・・)じゃあ、今進めるしかないじゃないか。時間が無いんだ。ぼんやりしていられない。

そーゆー身近な事から「先」という見えない物が少しずつ見えるようになってしまい、今何を行うべきか深く考えるようになりました。そして、買う物は買って、行きたい所へは行って、会いたい人には会って。でないと、多分あっという間に10年が過ぎてしまう。今までの10年がそうだったんだから、間違いなく加速する・・・

とゆーワケで、前振りが長かったのですが、今日からお休みをいただきます。仕事の再開は8月29日を予定しております。正直ハードな1年疲れました。大晦日と正月まで仕事していました。心と体の洗濯、まとめて休みます。

とはいっても、いつもの仕事がてら、投資物件を探しながら、旅先の仕組みを学びながらの旅です。旅先での行動はあまり決めていません。

決まっているのは、飛行機の座席と香港でのトランジット(1時間しかない)。あとはホテルくらい。ガイドも誰もいないので、航空券とホテルの予約だけ、初めての土地でこんな無謀な旅が好きなんですねー。

久しぶりでキャセイパシフィックに乗ります。(松屋の石森社長と香港を旅して以来でしょうか)香港で、ドラゴン航空に乗り換えなんだけど、運航はマレーシア航空が行う為、席は当日でないと分からないと、何だか解らない事を言っています。(前にも機材はカンタス航空で、運航はエアパシフィック航空というのがあったけれど、古い飛行機でしかも運転が荒く怖かった事が一度あり。)

のんびりして、英気を養って(自分で言うのはおかしい)それからまたがんばっぺふくしま!!

※メールは対応出来ると思いますので、何かあれば info@41heya.com  までお願いします。PC持参ですが、「部屋でのインターネットは無料」とホテルのホームページにありました。つなぐ事ができるかどうかは、私の腕次第。返信が無い時は須藤の腕が悪かったと、ワラテユルシテ

いわきへ3(最終回)
2011年08月05日 (金)

3時半頃ホテルへ戻り、泥のように眠った。

木崎、和田、須藤でワシントンホテルの朝食をとり、10時過ぎに出発。

大喜多と合流して、阿部の実家四倉へ。

地震で建物はやられていたけれど、津波はギリギリ大丈夫だったらしい。阿部とは真逆の優しいお父さんとお母さんがお出迎え。

阿部を乗せ、浜街道は道路が寸断されて走れなかったので、6号~6号バイパス~新舞子ルートで小名浜へ向かう。

途中、中ノ作漁港へ寄る。

港にタラコが2本浮かんでるのかと思った。

同じような船が、同じようにこんな状態でも仲良く裏返しに沈んでいた。

その向かいには、

なぜか、売家があり、なんだか奇妙に思えた。1階部分の駐車場には津波が押し寄せたみたい。隣の同級生の実家は無事だったようで、ほっ!

安ければ購入して、夏の合宿(何の?)所にでもと思い電話したんだけど、「今日は休み」と言われ、残念ですなーと、電話を切った。

小名浜へ行ったのには理由があり、チ―ナン食堂が流されたという話を聞いていて、心配していた。最近オープンしたという事だったから、どうしてもラーメンが食べたかったのと、店のおじちゃんおばちゃんらの無事を確認したかった。

山田も合流して、奥の小上がりに。しかし、ここの小上がりは高さがあり、「よいしょっ!!」と上がらなければならないから、大上がりか?店内外は何も無かったかのように、前とおんなじだった^^

これこれこれ!!おいしいよーっ!!

成田からの帰りでも、疲れているのに高速降りて寄ってしまいます。

男はラーメン大盛ね。

山田専務と別れ、

東京組もお土産が必要だと思い、好間の白土屋で巨大シュークリームを買い(みんな大喜び)別れた。

自分も、お隣さん達にお土産を買った。やはり、生クリームが美味しい。なんで、あんな絶妙な味ができるのだろう。

幼い頃はぷっちんプリンを食べると「この味がずーっと口の中にあればいいのに」と思っていたけれど、40を過ぎた今「この生クリームの味がずっと口の中にあれば酒なんて飲まないのに(嘘)」と思ってしまう。

私は49号線で大利を抜け、合戸を通り、差塩から高速に乗ったけど、いわき平インターから乗った和田君(本当は一緒の車で帰っているはずだったのに2台で走っていた。不経済ですねー)よりもずっと前を走っていた。

三春のパーキングでコーヒーをおごってもらい、少し話をして別れた。

こんな仲間に囲まれた気ままな旅が楽しいです。

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