社長のDiary

朝日

なんだか変な感じだった。まず、浩哉さんが足を痛めて不参加となった。それに台風も近付いていた。独立した翌年くらいに毛利さんと2人で頂上に立った朝日連峰だけれど、なんだか頂上に行くイメージが全く湧かない。ボクサーで言うと、最初からファイトが全くないような、オリンピックの韓国と中国のバトミントンみたいな感じだった。

当日は朝から小雨がパラついており、あまり気分の乗らないスタートとなった。午前4時前には家を出た。変な感覚のまま登山口を目指す。

月山道の終点から大井沢へ入り、それから日暮れ沢を目指す。ダムの側道を入ろうとすると、工事中で通行止めの看板。後ろから来た乗用車が「大丈夫だから」というので、我がマイクロバスもずらした立ち入り禁止の看板の脇を入り、乗用車に遅れて入って行くと、先に行った車がいきなり脱輪していた。これでもう、バスは引き返すしかなかった。(乗用車の1台は東京のナンバー、もう1台は会津ナンバーだったから、全く道路の状況が解らない人たちだったのであろう。なんで「大丈夫だから」と、昨日も来ていた人の様な言い方をしていたのか。話だけでは解らん。)まあ、反対側でなくて良かったね。

マイクロバスと別れ、20分程歩くと日暮れ沢小屋に到着。ここから急な登りとなる。

ものすごい急坂で汗が止まる事はなく、足だけが止まってしまう。30キロを超える荷物が肩に食い込んだ。汗が川のように流れる。(滝なんてもんじゃあない)写真の毛利さんが付き合って歩いてくれたんだけど、さすがにツラそうだった。左足の先に、何とも言えない違和感が出始めた。懐かしい違和感??

少しずつ高度を稼いで行ったけれど、なかなか前に進まない。荷物を背負っているのが苦痛になってきた。足や手をブヨが刺しているのに、追い払う気力さえ無くなり、刺されるままになる。水を飲むのにリュックを下ろさなければならなかったのだけど、下ろすのが億劫になってきて、あくびが止まらなくなる。おかしい。

左のふくらはぎが攣り、誤魔化しながら歩いていたら、左足のすね、ふくらはぎ、太ももと、全部が攣った。さすがに歩けなくなり、毛利さんから痙攣の薬をもらう。1粒飲んでも治らなくて、最後は5回分くらい飲んだけれど治まらなかった。このままでは毛利さんまで到着できなくなると判断し、先に行ってもらう。時間は昼近くになっていた。完全にタイムオーバー。遭難の危険性が出てきた。いつの間にか左足をかばっていたが右足攣り、両足の機能を失う。ごまかしも効かない状態だった。(よくもこんなに攣れるものだ)ある事に気付き、リュックの中を捜した。塩分不足だ。いつも持ち歩く岩塩を探すが見つからない。昨夜は近所のレストランで食事をしていたら、同級生とばったり会ってしまい、帰ろうとした8時頃から10時半くらいまで痛飲してしまった。飲むばかりであまりつまんでもいなかった。朝ご飯は食べていなかった。岩塩はいつまでも出てこない。諦める。どうしようもなくなり、自分が以前購入した「足が攣ったら飲む!」と書いてある薬を1箱飲んだけど、全く改善しなかった・・・

いよいよ遭難の二文字が頭をよぎった。下山が出来なければ、ここでビパークとなる。一晩中ブヨに刺され、雨に打たれて真っ暗闇の中を過ごす事になる。

上の写真、ナイロン袋の中にはワイン2Lが入っていたのだけれど、これを置いて、登ってみたけれど、足は変わらなかった。幸いな事に、下山は出来るようだった。諦めて一人トボトボと下山を始めると5人程の集団が登ってきた。聞けば龍門小屋の管理人だという。事情を話し、ワインあげるから持って行ってもらえないか?というと、「喜んで^^」という事になり、ゴミにならなくて良かったと、少し気が楽になった。

とにかく遠い。遅いとは云え、4時間も歩いてきたのだから・・・歩みはいつのまにか遠くまで行けるものですから。

手前左に見える赤い屋根が日暮れ沢小屋。遠い。霞んで見える。このギザギザの稜線を上り下りして戻らなければならない。

さらにその奥。中央より右上に見える白っぽい所が一番近い集落大井沢。遠すぎる。あそこまで歩かなければ、今夜良い夢を見る事は出来ないし風呂にも入れやしない。

少し足を攣りながら、誤魔化しながら、左足の先に違和感を覚えながらなるべく急いで下山したら、2時間で日暮沢小屋に到着。写真なんて撮る気力も無く、タンクトップを脱いで裸になり、水でジャバジャバと洗った。全部脱いで水浴びしちゃおうと思ったんだけど、念の為小屋の中を確認したら、登山靴が3足並べてあったので、さすがに見られたらヤバい(相手に申し訳ない)と、思い留まった。

小屋から砂利道を下り、脱輪現場を過ぎ舗装道路になる。さらに約1時間歩いたけれど、集落まではあと10キロくらいはありそうだった。10キロ、2時間半か・・・足も改善はしていないし、いよいよ荷物が肩に食い込んできた。なんせ、7時間は歩いているのだから仕方がない。

と、考えながら歩いていたら、1台の軽自動車が停まり話しかけてくれた。「下山してきたんですか?」「途中で足が攣って断念しました」「どこまで行くんですか?」「大井沢です」「えっ!?それは大変ですよ。良かったら乗って行きませんか?」と、ありがたいお誘いで助手席に乗せてもらった。申し訳ないくらい汗をかいているのに、気を使わなくていいからそのまま乗ってと言われる。なんてやさしい方なのだろう。

いろいろと話していたら、寒河江市にお住まいで、午前中に仕事を片付け、午後から出てきた。これから登ろうかと考えていたんだけど、天気が悪いのでどうしようか迷っているとおっしゃる。とっくに3時を過ぎていたので、今からでは夜になるのでは?と言うと、暗がりを歩こうと思っているという。スゴイ!!逆に私のリュックの重さには驚かれた。30キロなんて背負った事がないという。毎回、どんなに重くても10キロ以内に抑えるという。それでもビールが4缶入っているそうで、荷造りが上手である。「今は何でもすごく軽くなっているんですよ」と教えてもらった。

寒河江市の学校で先生をしている東海林(とうかいりん)さん。本当にありがとうございました。イノチノオンジンカンシャエイエンニ。

転勤後初参加の竹ちゃんこと竹原さんにシャレで持ってきた「竹鶴」12年くらいしか御礼できる物が無くて(箱入りのまま持ってきたのでお礼にはもってこいだった^^)差し上げる。恐縮されたけれど、こっちはとっくに恐縮していた。またお会いしたいですね。東海林さんメールください。

大井沢温泉ゆったり館で、念願の風呂に入る。別世界に来たように思えた。火星から地球に生還したような気分。(経験はないけどさ)

登山靴を脱ぎ、湯船に浸かっていたら、左足の懐かしい違和感の原因が分かった。私は幼い頃に、ヒョウソウという、ツメと肉の間にばい菌が入り、治療のためツメをはがされた事があった。(4才)あの頃は、裸足で駆け回っていたからなー。その後、小学校3年生の頃に、この爪が「カニ爪」というものになり、堅く分厚くなった爪の端っこの部分が肉に食い込んで痛くなるという、そんな症状に悩まされ手術を受けた。簡単に言うと、左足親指の爪を剥がし、指先の骨を削る手術。ものすごく痛い。2週間以上入院していたけど、痛くて眠れなかった覚えがある。体の先って削られたり切られたりすると痛いんです。その後小学生時代は、ちょっと走ったりすると必ず親指から出血していた。少しでもぶつけると飛び上がるくらい痛い。(今でもあの頃の半分くらいは痛い)中学生だったか、高校生だったか、忘れた頃に出血も無くなったけれど・・・お陰で、痛みに耐えられる我慢強い大人に成長する事が出来たとさ。めでたし。めでたし。

どうやら、このカニ爪が再発したようで、普通に歩いていても、ツメの左側が何かの拍子でキ―ンと痛むようになっちゃった。今から再手術なんてしたら、5年以上登山なんて出来なくなるだろうから、だましだまし行くしかないのでしょう。本当に残念です。

湯ったり館の受付のお姉さま方に、今日泊まれる宿は無いかと聞くと、親切に嫌な顔一つせず、あちらこちらに電話をしてくれた。ほとんどの宿がいっぱいだったけれど、1軒だけ泊めてもらえる事になった。2食付きで6500円だって。安すぎます。10分ほど足を引きずると、民宿大原に到着した。立派とかではなけれど、やさしい奥さんに救われた。今日は本当、多くの方々に助けられる。私はもっと困っている人を助けなければ。

エアコンも入り、荷物も解いて、一息ついて、ビールを1本お願いすると、つまみが3品も出てきた。自家製のウインナー、漬物どちらも最高に美味しかったけど、何だかわからない揚げ物はゼッピンだった。excellent!

山屋さんの宿でした。朝から8時間くらいかけて採ってきた筍。どれも太いのなんのって!多い時は40キロも背負ってくるそうです。ガサ藪を藪漕ぎしてくるんだから、40キロって半端じゃあないです。

夕食の品々。さっきのツマミだけでも充分だったのに、こんなに立派な晩ご飯を用意していただく。山菜の天ぷら最高に美味しかったけど、半分はお腹がいっぱいで食べきれなかった。持って帰りたいくらいだった。この後にとどめの蕎麦が出る。

このカワイイ実もいただきました。

翌朝。岩塩発見。悔しいので1粒口に放り込む。とにかくショッパイ。昨日見つけられればなー。

昨日岩塩を発見していたら出会えなかった朝ご飯。ご飯特盛りです。地筍の味噌汁やブナハリタケ、サイコーでした!悪い事があると必ず良い事が起こる。自然の摂理に従い完食する。

民宿大原さんには、本当にお世話になりました。おいしい食事も沢山作って頂きました。またお礼に行かないとね。

雨が降る外に出て、朝日の方角を見たけれど厚い雲がかかっていた。みんなは無事だろうか・・・

大原のご主人が高速バスの停留所まで快く(ホント快く^^)軽トラで送ってくれた。車内で色々と話していると、大井沢はその昔、出羽三山信仰の修験者達の宿場町として発展していたそうで、大原家は元々神社だったとか。家の奥に祭壇が祭られており、お爺さんは神主だったけれど、今では取り払われてしまったそうです。8:48発に余裕で間に合った。

乗客は私の他には誰も居ない。

こんな土砂降りの中、仲間たちは今日2日目の山小屋を目指しているのだろうか。私が居なくて大丈夫なのだろうか・・・後ろ髪を引かれる思いでバスを待つ。万が一に備え大井沢にもう1泊も考えたけれど、私に出来る事があるのかも解らず、ひとまず退散を決める。

そんな事を考えていたら、山が明るくなり、太陽が顔をのぞかせそうになる。案外、稜線は雲の上で晴れているのかもしれない。そう思ったら、自分なんて仲間には無用のものと思えたので、快く退散^^

雨の山形駅にたどり着き各駅停車に乗る。敗者にはグリーン席も新幹線も用意されない。各駅停車でとぼとぼガタゴトと帰るのみ。

後日、メンバーの足跡を聞いて驚いた。予定していた狐穴小屋までたどり着けず、全員バテてしまい、手前の龍門小屋に泊まったのだという。2日目は強風と大雨に悩まされ、転倒者が続出。幻の魚滝太郎が生息すると言われる大鳥池(釣りキチ三平で有名)の小屋にもたどり着けず、またもや手前の小屋で断念したとか。地図の時間配分が間違っていたとか、今度ゆっくり話を聞かなければ。過ぎさればいい思い出になるけれど、その瞬間はみんな必死ですから。

END

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