社長のDiary

7月後半から8月中旬のよもやま

7月末の日曜日。盟友こうちゃんとよしえ師匠がきてくれて、アイスコーヒーの豆をわざわざ挽いて持ってきてくれた。いつもありがとうございます。トラックを見て「デケエ!!デケエ!!」と喜んでいた。今度乗りましょう^^

 

 

7月末、久しぶりにふくの季さんへ。

 

相変わらずどの料理も素晴らしい。

 

この外側がカリカリで中がフワフワなタイ。たまらないのであります。

 

勧めてくれたボルドー産シャトー瓶詰めの白ワインも素晴らしかった。

ボルドーは赤🟥を連想されると思いますが、白も素晴らしい逸品があります。是非お試しを。

 

当主の写真かな?

 

花は奥さんがいつも生けているそうです。

 

デザートも素晴らしい。メインの牛肉は興奮して撮り忘れました💦

 

歩いて帰ったんだけど・・・

ご夫婦でレストランを経営するふくの季さんと対照的に孫悟空の張り紙が物悲しかった。

 

7月30日の日曜日には稲荷神社で夏越し人形祭りがあり、毎年協賛をしているのでたまには行ってみようという事に。

うちの行灯はどこでしょう^^

 

うちの行灯はどこでしょう^^

 

うちの行灯はどこでしょう^^

 

うちの行灯はどこでしょう^^

 

そんなふうに行灯探しをしていたら、総代の岩見会長に会ってしまい、「須藤君もお祓い受けな」と。

丹治宮司まで居るのに甚平を着て気楽に行ってしまったので後悔した(しかも足元は雪駄や下駄ではなくビーサン🩴💦)。せめて作務衣にしておけば良かったけど、暑くてそれどころではない。

 

宮司を先頭に行列を作り、この輪をくぐります。

 

孝太郎くんのところも行灯出ていました。

 

それにしても暑かった。

神輿の準備もされていて、近所のよしみちゃんもいたので一緒に晩御飯食べようと誘い、お母さん食堂へ行き、みきこさんにもビールを振る舞いながら絶品の唐揚げ🍗を爆食いしてしまった(他にも生姜焼きや野菜炒め、イカ焼きetc ete)。

 

稲荷神社にある我が社の奉納した石(呼び名は忘れた)を見ながらお母さん食堂へ向かった。

 

5月から通い始めた北部日本自動車学校。8月1日からフォークリフトの講習を受けた。1日目が学科。

 

二日目が実地。なかなか難しいけれど面白い。何人か知り合いができた。38度くらいの中行われた。とにかく暑くて、コーヒーをジャンジャン飲んで水分補給。Tシャツには塩の跡が残っていた。

 

天気なのに豪雨になったり、今年の夏は暑いだけではなくて異常気象を目や肌で感じました。

 

翌週は車両系建設機械(バックフォーとかユンボと呼ばれるもの)の資格講習。講習と言っても、一応筆記試験があるし、実地試験もあるから緊張して行っている。

実地の日は強い雨が時折降り出すので、服が濡れて涼しかった。

フォークリフトに続きこちらも合格💮

 

8月10日にはトラックを稲荷神社へ運び、お祓いをしていただいた。

 

車のお祓いは中山さんが多いです。これで安全に運行出来ることでしょう。

 

 

8月12日は街中広場でビアフェスが開かれており、友人らと10人くらいで行ってみた。

デイヴと久美子が出店していると聞いたので色々買いに行ったのに、色々売り切れで・・・買い占めてきた。

また、会場で木幡市長にばったり会い、5、6分立ち話。色々と問題もあるようで。「長」の付く仕事はお互いに苦労が絶えませんね😥頑張りましょう!

 

別れは突然やってくる。

盟友佐藤浩人(ツツミ住販社長)のお父さん、浩平さんが突然亡くなってしまった。

平成5年8月12日は忘れられない日となってしまった。

子供の頃から「おじちゃんおじちゃん」と慕っていた。高校生くらいから「浩平さん」と呼ぶようになり、親しくお付き合いさせていただいた。思い出はたくさんある。とにかく良き理解者で、若い俺たちを守ってくれた。トヨタに勤めたのも、就職説明会へ行ったら浩平さんが立っていて「何やってんだお前」と言われて「一応就職しないとならないかと思って・・・」と言うと「今日、空いてんだろ?6時に久兵衛な」と飲みに連れて行かれて、「お前合格。うちに来い」と、当時の「トヨタオート福島」の役員だった浩平さんから言われるがままに入社してしまったのでありました。その後、1年半で辞めてしまい。本当に申し訳なかった。

それでも祭りでは自分が上浜町の先生、浩平さんは浜田町の先生。「お前みたいな太鼓叩きこの辺にはいねえ」なんて、最高の褒め言葉を贈られたりもしたな。

今年もまた祭りで会えると思っていたのに。浩平さん大変お世話になりました。若い頃「お前らちょっと出掛けるか?」と、佐藤家で一緒に飲んでいると「クラブ」とか、「スナック」に着流し姿で連れて行ってくれて、カッコイかったなぁ。いつもモテモテでした。

どうか安らかに。

 

仙台ではウエスティンに宿泊した。

午後3時頃には用件が済んだので少しのんびりする。

 

天気はギラギラしていなくていい。

 

 

まずはひとっ風呂浴びてスッキリさせる。

 

ラウンジへ行くと少しだけ青空が出ていた。

 

シャンパンをずっと飲んでいたんだけど(浩平さんのともらい酒)シャンパングラスだと燃費が悪く面倒なので、大きめのワイングラスでゴクゴクと牛乳のように飲んだ。

 

 

6時からレストランを予約していた。

 

自分はアラカルト。サラダとメインのみ。他の方々はコース。

 

雲間から見える夕方の空が美しかった。

 

散々飲んだので、食後ラウンジへ行きアイスコーヒーでクールダウン。

頭に浮かぶのは親愛なる浩平さんと浩人の事ばかりだった。亡くなった翌日、葬儀場で会う事はできたけれど、仙台で外せない予定があり、葬儀に参列できなかった事だけが心残りだった。一生引きずって、あっちに行ったら謝らないと。

 

おわり

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