社長のDiary

KL 5

あっという間に最終日の9月10日を迎える。帰りの飛行機はクアラルンプール9月10日のフライトだけど、日本到着は9月11日早朝になる。9.11・・・

2001年は最悪の年だった。3月に日本国土開発を辞め単身エジプトへ渡り、帰国後参議院議員の秘書になった。演説先まで時間が全く無く、車で急ぐ途中スピードオーバーで警察のご厄介になり免停。議員は7月に当選したけれど、最後まで役目を果たせなかった私はわずか5ヶ月で無職に。8月は一人尾瀬を彷徨い、楽しいけれど大変辛い山行で(テントの中で周りをうろつく獣におびえながら眠れずに夜を過ごす毎日だった。荷物は30キロを軽く超えていたが、クマに2回遭遇し全力疾走を2回^^;)尾瀬を歩きながらずっと山道ではなく自分の生きる道を考えていた。そして旅の終わりに宅建主任者免許を生かし不動産と向き合う事に決めた。新たに学び始めなければならなかった。でも、その時の尾瀬裏ルートの山行ほど辛い事は無いと思われた。そのわずか数週間後、ニュースを見ていたたまれなくなり、9月11日午後3時頃から登山開始。薄闇の中、安達太良山の稜線にある小屋へ行き一人静かに夜を過ごした。まだ無職だった。個人事業で須藤エンタープライズを立ち上げスタートしたのは2003年の2月、34歳だった。2004年7月法人化。起業してとっくに10年経ぎたと思っていたけれど、まだ9年なんだ。(去年くらいから散々創業10年目とか言ってきたけれど、数えてみたらまだまだでした。ごめんね^^)10年前の今頃は宅建業者申請を県に出している最中で不動産取引は出来なかっった。金目の物はすべて売り払ってしまい、ちょうど先輩から声のかかった運転代行の仕事を手伝っていたな。4ヶ月間だったけれど、昼は自分の仕事をして、夜は先輩を手伝って睡眠時間は朝6時から9時までの3時間だけだった。お金は全然無かったけれど、お客さん待ちの時に本(小林まこPから借りた「金持ち父さん貧乏父さん」は3回読んだ。金が無く買えなかったし、大量にあった本は全部古本屋に売ってしまった)を沢山読めたし、毎晩0時からジェットストリームを聞けた。キツかったけどいい人達に囲まれて楽しい4ヶ月だった。

当時健在だった愛犬の橋蔵。(クアラルンプールとは何の関係もありませんが2001年のついでに・・・)体重30kgのかわいい室内犬だった^^

もとい。クアラルンプールでした。最終日の夜は部屋で少し夜更かしをして、真夜中まで起きていた。(ほとんど12時前には就寝する健康的な海外生活の日々でした。)

朝、最後の朝食へ向かう途中のロビー。クアラルンプールには沢山のホテルがあるけれど、こんなでかいロビーは他に無いそうです。日本ではニューオータニのロビーはどこまでか解らないくらいデカイけどね。

Mcityに決定。ここの将来性に賭ける。KL中心から約5キロ。最上階より1つ下の33階部分を予約。

残念ながらバンヤンツリーは見送った。本当に残念だけど・・・物件に惚れてはいけないと誓って不動産投資をしてきたけれど、バンヤンツリーには惚れてしまった。買えば売れなくなる。終の棲家となってしまう・・・

紹介していただいたディランタ・マラガモアさんはスリランカの超有名人。レーサーでもある。とても腰の低い方ですが、実はものすごい力を持っている。これからもよろしくお願いいたします。

ホテルの谷垣さんへお願いし、部屋を夕方まで延長。荷造りをしながら、PCを使いながら、TVを見る。Mr.BEENのアニメ版をやっていて一人部屋で大笑いする。

18:00にチェックアウト。谷垣さんや世話になったホテルの方々に礼を言い、空港までのタクシーを頼む。「Mr.SUDO、空港まで80MRだよ」と、ホテルのボーイが荷物を積んでくれた。ドライバーは正確に英語が話せない。シンガポールのシングリッシュじゃあないけれど、こっちは何て呼ぶんだ?マレーリッシュ?クアラルッシュ??それとも私と同じ出稼ぎの外国人か?

夕方で渋滞していた。車はなかなか進まないけれど、22:50のフライトだから、全然焦らない。ドライバーは一人右へ左へ急いでいた。

ハイウエイに乗ると日が傾き始め、雲間から少し夕日が見えた。

雲は道案内するかのように行き先の地平線へ向かっているように見えた。

無事空港到着。黒川紀章設計、大成建設(メインターミナル)と竹中工務店の施工。

帰りのタクシードライバーとは少し通じ合えたような気がしたので、100MRあげて「20はチップだよ」と言うつもりでいたのに、100渡すと「ン」と言って当たり前のようにそのまま行ってしまった。(ガクッ)まあ、いいや。どうせあげようと思ったお金です^^

22:50発JAL724便

チェックインの時刻を聞くと、現地係員が「30分後」というので、空港内をしばしうろうろしてチェックイン。その後来た時に乗ったトラム(逆方向)に乗り駐機場へ向かう。クアラルンプール国際空港は駐機場にも沢山の店があり飽きる事が無い。2階にあるレストランに入り、BIGサイズのビールとペンネを頼む。昼食をディランタさんにごちそうになってから9時間も経っていたので腹が減っていたし、深夜便なので機内食もどうか解らない。(案の定パン1個)カールスバーグが冷えて美味しく、あっという間に飲み干した頃にペンネが出てきたけど、デカイ!!それになかなか美味しい^^次は白ワインを注文。物価の安いこの国で白ワインはグラスで1000円近くもした。やはりイスラムの国だからなのか?成田だってせいぜい1杯500円ですよ。物の価値ってホントに解らなくなる。100円のコーラを1000円で売る方法なんて本があるけれど、そんなのは簡単な事だから読んだ事もない。こーゆー事さ。

4月に沖縄の三浦さん、東京の隠岐さん、宮城の石川さんと4時間遅れのシンガポール便を待ちながら過ごしたワインパブ。混んでいて入れませんでした。

エルメスのバッグをお土産にゲット^^バリ島のエルメスショップは茅葺き屋根だったな。こちらはシンプルです。

お世話になる724便。やはりJALの機長は運転が上手い。帰りも快適でした。窓側が取れたのでご機嫌で乗る。機内はとても空いており、60~70%くらいの搭乗率だった。隣りの席にでっかい白人が来た時、気を利かしたクル―が「お隣の席へどうぞ」と案内してくれたおかげで、2人分を使う事ができた。もう、ビジネス並でご機嫌。ありがと!

離陸し、クアラルンプールの夜景が見送ってくれた。フィリピンの散在する島々の上空を飛んでいる頃、ヘッドホーンから矢沢永吉の曲が流れてきたので聴いていたら、「JALスペシャル40thアニバーサリー」という特番で、永ちゃんにインタビューをしながら曲を流すという内容だった。トラべリンバス、夜間飛行、時間よ止まれ、チャイナタウン・・・好きな曲ばかり30分か40分ほどの番組。永ちゃんも熱く語っているし、5回繰り返し聴いた。映画もあまり見ないまま、永ちゃんをききながら、ウトウトしながら、ワインを飲みながら・・・の夜間飛行となった。飛行機内で初めて永ちゃんの夜間飛行を聴いたけれど、ハマった!!これから夜のフライトには夜間飛行を聴きましょう^^

眠ったのか眠らないのか解らないうちに夜が明ける。約7時間のフライト。

旅を振り返りながら着陸を待つ。今野さんはじめ多くの方々にお世話になり、良い物件ともめぐり合う事ができ、充実したとても良い旅となった。目的の無い旅が面白くないのは重々解っていたけれど、このくらいの目的のある旅が面白い。しかも海外でビジネスをする為に行く旅と言うのはたまらない魅力と刺激に溢れています。

9.11成田へ無事到着。

開高健は世界中のどでかい魚を求めてビッグゲームを繰り広げ、それをオ―パ!などの本にしてビジネスをしていた。羨ましい人生を送った大好きな開高だったけれど、私はbig businessを追いかけて世界を旅して行きたいと思う。

行き先は決めてある。マレーシアとは長く付き合う事になると思う。ディランタさんを頼りスリランカへ急がなければ。シンガポール、フィリピン、アメリカ、カナダ。カナダはデュアー先生と連絡をとってみたい。キーワードは法律、移民、所有権。中国が本性を世界にさらけ出し、これだけ大きなトラブルを起こせば世界は行き先を変えインドとインドネシアを含めたアジアへ向かう事になる。アフリカはまだ先の事と思われる。アメリカが円と元の直接取引を容認したのは、アメリカは中国から手を引くというサインなのに、日本企業の中国へ対する投資は驚くほど減らない。どこまでお人よしなんだ!?ニッポン!?円高の今、世界を相手にビジネスをするいいチャンスです。円安になったらピタリと止めますがそれまでは学び続けよう。

また、長々とお付き合い頂きありがとうございました。これからも旅のリポート発信し続けます。くだらない文章にお付き合い頂いているのに「次はいつ書くの?」「しばらく更新してないね」の声は、とても励みになっております。日本への投資を止めたわけではありません。ご承知の通り世界のお金は東京へも向かっております。日本は現在割安です。しかし、超円高を活用するのには海外もカテゴリーに入れなければ千載一遇のチャンスを逃してしまうという事です。私なりに、小さい会社なりに外貨を獲得し、日本の為になればと考えての行動です。

fin

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