20代の頃に出来た遊山会は私が毛利さんを泉ヶ岳へ連れて行ったのが始まりで、あれってもう30年近く前の事なのだと振り返る。あれから年齢に伴いシワも白髪も体重も年輪も増えてしまった訳で。あっという間の浦島太郎の玉手箱のような、夢のような時間だったのでありました。
「遊山会」なのに気仙沼大島を歩くという。それじゃ「遊島会」じゃないの!?と、思ったりもしたけれど、ここ2〜3年まともに参加できなかった身であるため、あまり偉そうなことや、際どい冗談(自分にはこの手の冗談が多いと思うんだけれど、ウケるかウケないかギリギリの冗談、つまり冗談がキツいのだが、3割バッターくらいの成績だと思うからまぁまぁなのか・・・野球じゃないから冗談はやはり8割以上じゃなければならないのか・・・)を言える立場にないのである。
20代の頃、一度キャンプした事があり、懐かしい楽しい思い出しかない、気仙沼大島。「もうかの星」というサメの心臓を初めて食べたのもこの島のキャンプ場だった。(残りを焼いてみたら物凄く臭くて💦 あれから一度も食べてないんだけど・・・鮫)
最近では朝の連ドラ「おかえりモネ」で気仙沼大島や登米が題材になったりしていたのは記憶に新しく、気仙沼大島は勿論大いに盛り上がっていた事でしょう。古くはおしん、あまちゃんやエールなど東北が取り上げられるのは、素晴らしい事であり、ありがたい事であります。
そういえば、弊社所有杉本ビルの斜め後ろ、現在の東邦ビルのあたりが古関裕而生誕の地であります。(境界を接しているからお隣さん)
また、TonTonのママに言わせるとあまちゃんの宮古の方言「ジェジェ!!」は、陸前高田へ行くと「ババ!!」に変わるのだとか。
また、登米のうなぎで有名な「東海亭」は、私が行くと必ず休みか売り切れであるとか。
朝の連ドラにまつわる話には色々と繋がりがあるものです。(個人的にだけど)
てなわけで。
気仙沼大島上陸でございます。

しかも立派になっていた。こんな道の駅ができていた。

道の駅に各車勢揃いをしてここからスタートします。会のみなさん、他のお客さんに迷惑ですから、端っこの方に並べて停めましょう。コロナだからって車同士は感染しません。

あの山のてっぺんにある展望台にも行く予定だったらしいけど、天気が悪いので何も見えない(こちらからガスがかかって見えるというか見えないという事は、彼方からもガスでこちらが見えないという事になる。)

こんな立派な道路が出来ていた。

標識も判りやすい。

少し緩やかな坂を上り、かなり低い最高地点から下り始めるとすぐに海が見えてきた。

何かやっていた。

波に飲まれてしまったであろう場所に防災林を作っていた。なかなか伸び悩んでいるようにも見えた。

みちびき地蔵様に導かれる事はなく・・・反対の右方向へ向かう。

こちらの海に近い方は何故か植林は育っていた。

今日のメンバーの方々

前方の方々

虹のサインが見えたので、あちらの業界関係の建物にしてはエライ立派だなと思ったら、老健施設だった。まさか、レインボーの方々専用ではないと思うんだけど・・・(謎)

ウチの現場並みに放置されたフキノトウ

台湾スナック「夜来香」の看板に反応し、寄ってしまいそうなメンバーのおじさんが数名おりました。読み方は「ヤクか」でしょうか・・・(これも謎)

ここは立派な水洗トイレ🚽が整備されており、とても綺麗でした。

目の前の小田の浜

トイレへと続く廊下

猪苗代湖にSUPがあったのには去年驚いたけど、大島にまでSUPが渡来しており、もう一度驚いた。
初めてLAで見たのが10年近く前だから、SUPで渡ってきてもとっくに到着する時間が過ぎたことだし。渡来しているのが当たり前か。

せっかくなので浜を歩くみなさん。
途中道が無くなり、自分は崖を登る羽目になってもうた。

この木の事を毛利殿が説明していたけれど、すっかり忘れてしまった。

こちらの青と白の目印を頼りに歩いています。

え〜っと、この地図について文章では説明が難しいけれど、赤いピンのマークの所をスタートし、赤い道を右へ歩き、ぐるっと半分回ったら黄色い道で上に上がり赤いピンに戻るコース。

龍舞﨑入口まで距離的には1時間半くらい。

アスファルトの道路からいよいよ登山道っぽくなってきました。

赤いおじさんは先頭が好きです。

晴れたら綺麗なんだろう。

後ろからヨタヨタと続くおじさん達。

この木は津波をかぶったのだろう。立ち枯れているようだった。

島だというから油断していた。アップダウンが激しい。

毛利殿が苦手な崖が多い。なるべく海の方を見ないようにしているのか??
ところでマスクなんかして風邪ですか??

下って海抜0mに。

小さな漁船の船着場があった。

拷問のような階段をまた登ります。結構長い。

ずっと「もうバスで帰ろう」と言っているおじさんもいました。

あの遙か先まで行こうというのか・・・天竺並みに遠いではないか・・・

木道はスピードが出る。歩き慣れています。

う〜む。とても遠く感じる。

展望台のような所までキタ

さっきまであの先っちょに居たと思う。

雨雲が迫ってきた。

展望台を右折すると今度は長〜い石段を降り始める。

おいおい、どこまで降るのよ。

深い谷を越えて

また登り始める

苦しそうなみなさん
自分は先頭集団を歩く

そろそろ雨が降りそう

バスで帰りたい・・・

階段を登りきると平坦な木道に出た。

今、1時間くらい歩いたような気がしたけれど、300mしか進んでいない・・・

荒々しい岩場が見えてきた。

ということです。

おいおいおい・・・また階段じゃねぇ〜か・・・
島歩きだと思って完全にナメて来ました。

そろそろいいんじゃないですか?

おお!!見えてきた。終点に食堂があるからラーメン食べたいとか、カレーがいいとか、天ぷらそばがいいとか、みんなで盛り上がっていたから、折り返し点はここに間違いない!!

と、思ったら店は休んでいて・・・
駐車場の端っこで各々昼食をとる事になりました・・・
自分はいつものカップの天そばと、おにぎりが1つ。

帰りはまた、アスファルトの道を歩きます。

トイレがあったけど昭和の水洗トイレですね。

「ファスナーが壊れた」と言えば、同年代が飛んできて助け合っています。

寒いし天気も悪いし、味噌ラーメンとかあったら天そばは持ち帰って暖かいの食べようと思ったんだけど。
おまけに水を忘れていて、毛利殿から水筒のお湯をもらって注いだんだけど、蕎麦は硬いままでベビースターラーメンを食べているような食感だったのであります。ガスはあったから、温め直せばよかった・・・

気仙沼市街の方を見ながら戻ります。雨が降ってきた。

しかし、こんな立派な堤防が出来ていて。

高さが7mもあり、海は見えなくなった。

あの堤防の内側にある船は、どうやって漁に出るのだろうか。
「岡サーファー」っていたけど、「岡漁師」も居るのか??

途中から防波堤の上を歩く事が出来た。

この写真はゴール間際なんだけど、直後に土砂降りとなり、写真どころではなくなってしまった。
ここでおしまい。
気仙沼大島はまだまだ寒く冬の終わりと春の始まりの間くらい。
遊島会のほのぼのとした一日でした。
覚悟とか、緊張が無い歩きもいいものです。
おわり
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