社長のDiary

3月末から4月の旅 北海道

3月末。いよいよ春めいた北海道への出張。

 

仙台19:40分発→苫小牧翌朝11:00着。

海はほぼ凪いでいた。潮の変わり目が見えていた。

 

快晴☀️

 

苫小牧港到着。

 

苫小牧から留寿都を通り、現場を通り、

夕方函館到着。

 

いつものホテル。

 

すっかり雪は消え、一面真っ白の景色が黒い中に光が輝いていた。なかなか美しいじゃないか✨

 

 

翌朝。快晴の朝焼け☀️ 朝焼けといえばカシオペアだな。名曲です。

 

港の海面は鏡のようだった。

 

信夫山みたいな函館山もおはようございます。

 

今回も北斗で向かう。

 

駒ヶ岳周辺も雪なし1ヶ月でこんなに景色が変わってしまうなんて・・・

 

線路にも雪なし。

 

洞爺で乗り換えて1駅戻る。海岸にも雪なし。

 

現場の雪も溶けていた。

 

杭打ちが追い込みに入っていた。

 

雪が溶け、皆さんやっと作業がしやすくなったようでホントよかった。現場にも笑顔が溢れていました☺️

 

午後、少し安心して大岸駅へ向かった。

 

大岸駅も先月までの雪が嘘のように無くなっていた。

 

 

海の向こうの駒ヶ岳は見えず。

 

いつものディーゼル車は混んでいた。

 

長万部到着。風はまだまだ冷たい。

 

噴火湾をぐるりと周って帰る。

 

 

まだ春とは言えないような、冬の気配が残る景色。

 

 

いよいよ農業が始まったようだ。

 

 

函館に到着。まだ夕日が空に浮かんでいた。冬の間はこの列車で戻っても夕日には間に合わなかった。

 

日が沈み函館は静けさを取り戻したように見えた。

 

翌朝の函館は天気が悪かった。

 

あららららら。

 

雲が厚く雨模様。

 

雨のなか現場へ向かった。安田テンテンが除雪および現場での作業を終え、早朝の船で福島市へ向かっていた。

 

長万部から急に晴れた^^

 

 

いつもの特急に追い越された。なんかちょっと悔しい😞

 

現場をゆっくり2時間くらいかけ歩いて回った。現場の問題点を指摘し、工事の進め方を相談しながら過ごした。

現場は晴れていて、帰り道雨は上がっていた。

 

駒ヶ岳もバッチリ👌

 

函館到着。

 

夕方から夜にかけての函館は絵になる。

 

 

日曜日は1日休みにした。

天気が良いので車で出かけよう。

 

 

龍飛岬が見えていた。

 

函館から1時間弱北上し、森町から太平洋側に入る。途中牧場があり、いつもと違う角度からの駒ヶ岳が見えた。

 

高台から噴火湾が見え、対岸の山々が見えていた。

 

羊蹄山(蝦夷富士)が綺麗に見えていた。

 

裏側からの駒ヶ岳はまるで違う山のように見える。

 

どうしても海岸に行きたかった。

 

サーファーが冷たい海で波を待っていた。

 

 

目的の一つが、ドライビングシューズを洗いたかった。

というのは、現場の玄関にサンダルを置いておいたら、下請けの社長が勝手に履いて行ってしまい、泥だらけにされてしまった。これを洗い流したかった。

 

この海で悲しいお知らせが2つ入ってきた。

100歳を超えた祖母がたった今亡くなったと、戸田の従兄弟から連絡があった。従兄弟が電話の向こうで泣いていた。

もう一つはサカモト教授が数日前に亡くなっていたと、ニュースで報じられた。

 

1周して函館山が見えてきた。ずっとYMOを聴いて過ごした。

 

海は穏やかだった。昨夜の夢で、ひいお爺さんが出てきた。「じゅんちゃん墓参りに連れて行ってちょうだい」と言われ、車に乗せて2人一緒に墓参りする夢を見ていたんだ。そして、鮮明に覚えていた。まちこさんが亡くなるお知らせに来てくれたのだろうと思う。

ひいお爺さんは何かターニングポイントがあると必ず夢に出てきてお知らせしてくれる。

 

短いドライブはあっという間に終わってしまった。

 

まだ日が高い。

 

 

気がつくと静かな夕方になっていた。

 

部屋で食事するのもなんとなく寂しい感じがしたので、駅前の交差点のビル地下にあるイタリア料理店へ行ってみた。

 

今日の海とは違う、荒々しい海の絵が印象的だった。

 

 

TOH!という白ワインが素晴らしく美味しかった。

 

にしむらさんのナポリタンがめちゃめちゃ美味しくて元気が出た。

 

15年ほど前、お世話になった中城さんのお母さんの葬儀があった時、遺影の隣に「須藤・エンタープライズ有限会社 代表取締役 須藤淳一」の生花が飾ってあり、遺影の反対側が「坂本龍一」その下が「高橋幸宏」私の花の下が「細野晴臣」だった。もう亡くなってしまった中城(兄)さんの粋な計らいだった(中城さんの弟さんがYMOオフィスの方だったご縁でこのような出来事がありました。今は弟さんが玉置浩二さんのコンサートプロデューサーをしており、お兄さんが亡くなった今でも折に触れ連絡を頂いたり、お会いしたりとお付き合いが続いております)。

祖母は書道、華道、茶道、琴、三味線、ダンスetc etc と、多彩で多趣味なお婆さんでした。大正生まれ、校長先生の長女だったので、お嬢様だったと思われ、高校は札幌女子高を出ている。字が上手く(私とは全然違う)茶道や華道は多くの方々に教えていたりした。自慢の祖母も101歳の誕生日を目前に他界してしまいました。でも、100歳超えたらお祝いだね。

YMOは小学生の頃に出会い、熱中してしまったんだけど、中学生の頃から矢沢永吉さん、山下達郎さん、大瀧詠一さんなどと共によく聴いていた。そんな身近な方々が次々に亡くなってしまい、YMOはとうとう細野晴臣さん1人になってしまった。大瀧詠一さんも亡くなってしまったし、村田和人さんもとっくに他界されてしまった(昔々、山下達郎さんの秘蔵っ子と言われ、歌がとても上手かったです。「1本の音楽」というヒット曲があり、コマーシャルソングにもなっていた)。外タレも、青春時代に聴いたバンドマンが随分と他界してしまった。

そんな事を思い出しながらゆっくり食事をさせてもらいました。

 

翌朝。

 

昨日よりも天気がいい。空気が澄んでいる。

 

 

今日も対岸の蝦夷富士が美しい。

 

 

蝦夷富士の左手の山々は位置的にニセコアンヌプリをはじめとする、ニセコ連峰の山々ではないだろうか。

 

現場に到着。

 

3月末までに半分完成と聞いていたけれどまだ程遠い。雪との戦いに負けてしまったのか・・・

 

外周を1周歩いてみた。

 

現場からも駒ヶ岳が見えていた。

 

牧草がもうすぐ青い葉を出そうとしていた。もっと傷んでいるかと思ったが、しっかりと根付いていた。

 

今度は1本足なので、除雪や牧草の収穫などが100倍しやすくなった。素晴らしい。

 

帰りの国道5号線。

 

海の反対側から見えていた駒ヶ岳が目前に迫ってきた。

 

それにしても贅沢な通勤路だ。海と山を見ながら走れるなんてとても贅沢だ。

冬は1度だけ死ぬほどの大嵐に見舞われて前が見えないまま4、5時間運転したことがあったな。

 

今日は帰りが夜になってしまった。

 

 

翌朝、不思議と4月4日4時4分に目覚めた。

 

おはようございます。

 

今日の船で帰ります。

 

気がつくとメーターは55547キロになっていた。もう少しじゃないか!!

 

55555キロ到達〜!!自動運転にしていたので奇跡の一瞬を撮影できた。

 

今日はあまり天気が良くない。

 

苫小牧港に到着。いしかりで帰ります。

 

太平洋フェリーは早めに部屋へ入れるのが嬉しい。前にはシルバーフェリーの八戸行きが停泊していた。

 

月の綺麗な夜でした。

 

 

月を見ながらの航行🚢

 

少し明るめにすると、ガラスが塩で汚れているのだろう、ギラギラした月🌕のように見えた。

 

 

翌朝。

 

仙台港が見えてきた。

 

車輌甲板にはたくさんの車があり、旅行者が確実に増えているのがわかった。

 

仙台で用件があり、港から市内へ寄ってから帰る事にした。西公園あたりは桜が満開になっていた。

 

翌日。駅前へ行くとゼビオビルに足場がかけられていた。

 

 

建物との別れはちょっと悲しい。

 

築造物は、新品として完成した日から終了へ向かって行く。小学4年生の時(5年生だったかな?)に初めてスキーを買って貰った「サンキョウ」だった建物は自分が看取る事になってしまった。楽しい思い出の多いビルだった。

 

なかなか思ったように物事が進まず、いくつかの別れを経験した3月末から4月はじめにかけての旅でした。

おわり

 

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