社長のDiary

2月も北海道へ

ゴルフ場でご馳走になった翌日。午後から仙台港へ向かっていた。前日より降ったの雪の影響が残り、115号線はシャーベット状態。雪が路面に残ったままだった。

 

相馬〜霊山道路に入り、玉野の手前まで来るといきなり渋滞と15km/hくらいのノロノロ運転が始まった。除雪と融雪剤の散布をしているらしい。ノロノロでも仕方がない。事故が起きないように頑張ってくれているのだ。

 

たまたまメーターを見たら8がたくさんになっていたので写してしまった(深い意味はありません)。

 

1時間早く出ていたので無事仙台港到着。

やっぱり船に乗るとか、飛行機に乗るために車で出る時は何があるかわからない。さっきの除雪渋滞も30分以上掛かった。早く出て正解だった。

 

夕焼けが綺麗だった(フェリーの建物邪魔)。

 

太平洋フェリー。この船は早めに乗船させてくれる。レストランもそれに合わせオープンするのでとても助かります。

新メニューは随分と味付けが変わっていた。板さんも変わったのだろうか。

出港後、空に雲が広がり、星も見えなかったので DVDの映画を観て過ごし寝た(夜の写真ナシ)。

 

 

翌朝。

 

天気が良く海も穏やか。

 

北海道の山々が見えるくらい天気がいい。まだ真冬だぜ。

 

雪雲が近づくとあっという間にバチバチと窓に雪が叩きつけてきた。やっぱり真冬だぜ。

雪雲を抜けると穏やかになる。雲よりも船の動きの方が早いらしい。

 

写真を見ると春みたい。

 

苫小牧に近づく。

 

さんふらわあが停泊していた。

 

港に入る。

 

さっきのサンフラワアの後ろに船をつけるらしい。

 

船の運転手さんは上手かった。少しずつ横に寄せて着岸。

 

苫小牧の道路に雪は無かった。

千歳まで下道を走る。

千歳空港の東側に高規格道路の始点があり、そこから北上する。

 

晴れていて気持ちの良いドライブだった。

 

終点の長沼まで行き、そこから道道を走る。この辺りは雪が降ったようだけど、日が出て溶けている。

 

恵庭のホテルに到着。最近センスの良い絵師が居るらしく、安らぎながら微笑んでいるような小さな絵が毎回出迎えてくれる。

 

滞在期間中必要なものを買い出しホテルに戻ると空は昨日出発した頃の色になっていた。1日なんてあっという間だ。

 

翌日は午後から、経済産業省より指定されている「安全管理審査」が札幌であった。豊浦発電所復旧工事の総仕上げとなる。

以前とは様子が変わり、経産省の方々が現場に来て行うのではなく、指定業者さんとインターネットを介して行われる。発電所完成時に行われた5年前とは大きく変わったものだ。

そういえば、壊れた時に経産省の方が2名現場調査に来られたんだけど、その係官の方が掛けていたメガネがカッコよくて、聞いたら「鯖江のメガネです」と教えてもらったな。それを聞いて鯖江に行ってみたいと思ったんだけど、あれから2年も過ぎてしまった。1日も早いけど2年もあっという間だ。今年は鯖江に行くぞ!!

てなわけで・・・審査日当日。

1時間ほど受け答えをすると「書類に目を通すので1時間休憩」となってしまった。それでも、対面する(画面上で)審査官がとても良い人で救われる。

「近くにコンビニありますか?」と聞くと「その先の角を曲がってすぐ」というので歩いてみたら、角を曲がって遥か彼方の3〜400m先にあるのが見えたのでやめた。歩道が凍っており、80mで1分歩けるところ、信号もあるし2、3分/80mくらい掛かってしまいそうだった。雪がなければいいんだけど。スーツだったしさ。転んだら恥ずかしい55歳。

 

現場で回線を繋いで審査を受ける事も考えたのだが、主任技術者の高橋さんから「富士電機さんへ広い会議室を貸してもらえるようお願いしました」と連絡があり親切に甘える事にした。富士電機さんは高橋主技が元役員をしていた会社で、現場の特高発電設備、パワコン、バッテリーなどを納めていただいている関係もあり、社長や役員の方々が出てきてくれてご挨拶いただき、広くて立派な会議室を快く貸していただいた。やっぱり一流というのはこーゆー事なのだと思う。

無事審査を終え、16:30に札幌を出発。またまた社長や役員の方々が寒いのに外まで出て見送ってくれた。大変お世話になりました。こちらがお願いしてお借りしているのにお出迎えとお見送りまでしていただくなんて恐縮しております。

 

翌朝。

恵庭の気温は氷点下10度に近づいていた。

 

7時過ぎにはホテルを出発。高速に入ると朝日が昇る。

 

今日は天気がいい。伊達市に入ると昭和新山と有珠山が見えた。

 

現場に到着。歩いて現場を回ります。

今日は綺麗にウインザーホテルが見えていた。

 

パネルの雪も落下している。

 

歩くとすぐに暑くなった。

 

残念ながら少し北斜面になるとパネルが雪で覆われてしまう。

 

北斜面はどうしてもパネル下部の地上高が低くなるから仕方がない。来年の課題として今年はデータ収集。

 

現場の最高地点まで除雪を頑張った跡がある。

 

この翌日から、パネルの下の雪をスコップで切る作業に着手してくれた(とても大変な作業です)。

 

この前遭遇した牡鹿の足跡が新雪についている。そんなに餌は無いと思うけどなぁ。敵もいないからなのか。

 

このくらい寒くて太陽が出るととてもよく発電してくれる。

 

南側の最高点まで深雪をラッセルして登り撮った写真。ちょっとわかりにくいので・・・

 

普通のサイズで分割してみました。①左側

 

②右側

 

久しぶりにテンテンと鈴木さんと会えたので長万部の「浜ちゃんぽん」で昼食。

やっぱりここの辛子味噌ラーメンが美味い。テンテンが「社長、宇宙軒よりこっちの方が美味いんじゃないすか??こっちの方がおれ好きだなぁ〜」と、宇宙軒超えを宣言していた。浜ちゃんぽんも宇宙軒も、現場から3、40分なので、しばらくこっちに通ってみようかな。忙しい時は近くの食堂か、町が運営する「しおさい」へ行くんだけど、少し話をしながら過ごしたい時はちょっと離れたところへ出かけている。

 

今年は90cmのドカ雪が降って以降は3〜15cmずつしか降らなかった為、大活躍とまではいかなかった除雪機。また、作業開始時にマシントラブルが続き、1ヶ月近く作業開始が遅れてしまい、完璧な作業まではいかなかったけれど、それでもホイルローダーと手押しの除雪機(キャタピラは付いてる)での除雪に比べたら数10倍の能力を発揮してくれた。来年から更なる大活躍間違いなし💮

 

このスタットレスとチェーンだと深雪では限界があるらしい。キャタにしたいところだけど・・・

 

昼食から戻り現場をもう1周。

何回も歩く事で問題点を発見したり新しいヒントが生まれる。

 

午後の日差しで海がキラキラ輝いていた。今日は良い1日だった。

 

後ろについているウインチが今年は大活躍だったみたいです。

 

使用感が増したなぁ。

 

この機械がもう少し手前にあるともっと作業がしやすかったんだけど。

 

ではそろそろ帰りましょう。

樽前山が綺麗に見えていた。

 

まるで羊蹄山のようにどっしりと見えた山は、留寿都村の尻別岳なのだろうか支笏湖の奥にある○○岳なのか・・・見る方向が変わると山相も変わるのでわからなくなる。

 

高速が噴火湾に沿ってぐるっと回っており、その中で右へ左へ東へ西へと蛇行するものだから、方角がわからなくなってしまうのがこの高速道路の特徴です。

途中、白老や苫小牧を過ぎたあたりでものすごい吹雪に見舞われたりしながら恵庭へ戻った。

 

翌日。

今回は滞在が短くもう帰る日。最終日も日中に現場で何かあれば向かえるように開けておいたんだけど、連絡したら現場は天気も良く、昨夜から雪も降らなかったのでオレには用がないとテンテンが言うので暇になってしまった。

お土産を探しながら、以前「みーとらチャンネル」という北海道の女性YouTuberの方が行ったちゃんぽんの店が気になっており、どうしてもそこに回りながら(かなり遠回りだけど)帰る事にした。社長とのやりとりが面白すぎる番組。

 

あちこちで雪解けが進み道路は水浸しになっていた。暖かいんだ。

お土産を買いながらお店に到着〜

野菜たっぷり🥬✨ 美味い!!✨ 絶品のチャンポンだった。

リンガーハットも秋田のチャイナタウンの味噌ちゃんぽんも大好きだけど、ここのチャンポンも格別だった(って、本場長崎でチャンポンを食べた事がないアタシ(汗) )。

 

到着した時に寄った長沼の道の駅。狛犬みたいな雪だるまは到着時とほぼ変わらぬ姿で座っていた。天気はいいけど寒いんだわ。

 

新しい裏道を開発しようと新ルートを見つけると、並行して鉄道が走っていた。いつもの岡崎アニキへお土産の切符を買って帰ろうと立ち寄ると、ここも無人駅になっていた。

 

1日に何本か各駅停車が停まるらしい。発電所の最寄駅「大岸駅」くらいの本数か・・・

 

苫小牧から岩見沢まで走っているらしい。

 

その三川駅周辺の案内図。駅前通り店舗数は少ないけれど、どこでも見られるシャッター通りになっていた。

 

足跡があるので人の乗降はあるようだ。

電化されていないので電柱が無く、スッキリしている。

気を取り直して再び港へ向け南下。

 

ぼんやりと北の夕日が顔を出した。

 

新ルートは信号も無く早い。広くて立派な道路だった。この道路採用しましょ^^

 

今日も終わりに近づいていた。

悔しいので次の駅にも寄ってみた。

ここは有人の駅。記念切符と普通の切符、時刻表などを集めてきた。

 

追分駅。分岐点の意味があるから、ここは鉄道の重要拠点なのだと思われる。

 

やっと手に入れた土産を手に港へ向かう。

港周辺にはよく鹿が出るんだけど、この日は大群の鹿々に出会った。その中の1頭はこちらを凝視し、クルリと背を向けるとぴょんぴょんと可愛いいステップで茂みの中へ走り去った。ウチの現場鹿もこのくらいの愛嬌やステップを見せてくれたらいいのに。私とかくれんぼしているようではダメだわ。お前に愛嬌とかシャレはないのか・・・?

 

程よく港到着。

完全にオフシーズンで乗船する客も車も少なかった。

 

出港の30分前に乗船開始。フロントで鍵を貰い部屋に着くとあっという間に汽笛が鳴った。

 

出港

 

苫東厚真発電所はあっという間に遠くなっていった。

 

さよおなら〜

 

苫小牧の灯りが雲に反射していた。

 

食後にベランダへ出てみると雪が降っていた。

 

雪が強くなると海も少し荒れてきた。

この日は星も見えず。シャッターチャンスもなく。映画を観て過ごした。

 

翌朝目覚めると秋田港に入港していた。暖かいのか、ベランダの雪は消えていた。

 

出港

 

風車の近くを過ぎる

 

随分完成し数が増えていた。

 

風車の西側からは強烈そうな雪雲が近づいてきていた。

 

秋田市側は太陽が出ていい天気。

 

男鹿半島の付け根から先端の入道崎方面は雪雲に覆われている。

 

雪雲を避けるように左旋回

 

雪雲をやり過ごす

 

男鹿半島の先端が見えていた。通り雪だな。

 

あのもう少し先が入道崎だと思われる。

 

爆発しているような激しい雲

 

また風呂に入ったり、映画を観ながら過ごしたりして、昼食を食べ終わると

しばらくすると飛島が見えてきた。

 

その後は粟島が見えてきた。そろそろ旅が終わる目印。

 

高速船ジェットフォイルが西へ向かって行った。行き先の佐渡島は曇って見えない。

 

 

弥彦山のあたりは少しだけ見えていた。

 

新潟港あたりは少し波が荒く、ちょっとだけ揺れていた。それにしても冬としては行きも帰りも穏やかな海だった。例年になく穏やかな冬のおかげだろうか。乗れば穏やかだけど、乗れないくらい荒れた海のせいで欠航になる事もあるんだから、出るか出ないか、天気が極端になっている感じがする。

地元福島には夜8時頃に到着。

そして翌日。

旅の仲間は泥やら塩やら何やら(なんだかわからないもの)にやられて真っ白だった。まずは高圧洗浄をしてからそのままガソリンスタンドへ行き洗車機にかける。それでも塩分が取れなくて、完全に元通りにするのにはもう一度同じ工程を行わなければならない。

 

 

戻ると建物は完成していた。

 

この天井がお気に入り✨

 

翌日は龍くんから連絡があり、がっちゃんに会いに行こうと誘われた。キッチンキーズで剛くんと会い、2次会はロッカウエイで。

5月25日、元チェッカーズのメンバー大土井裕二さんがここでライヴを行う事が決まり、ライヴ最後のセッションでドラムの演奏をさせてもらう事になった。とても光栄な事です。ありがとうございます。

 

週末の16日はESTAビルへ。再開発の解体工事は完全に地下へと進んでいた。重機の数が凄い!!大現場だ。

 

西には吾妻小富士が綺麗に見えていた。

 

冬の平日。駅前はやっぱり人がなく寂しい。

 

この部屋が好きなんだけど、やっぱりなかなか来る事ができない。月に1回か2回かな。それでもこのような場所で過ごせる事にとても感謝している。

 

南側が遠くまで見渡せてとても良い景色になってしまったけど、このままでは駅前の発展はないんだな。良い施設が出来ることを願っています。

 

週明けの月曜日、建物の検査があり、やっとトラックを仕舞う事ができるようになる。長い戦いがいよいよ終わろうとしていた。

 

おわり

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